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楽しみ方法華経寺のお参りの記録一覧

休日に妻と散歩がてら参拝🙏
京成本線・京成中山駅徒歩5分🚶
非常に見応えあり、御朱印も頂戴しました。
御朱印の納経料は決まっておらず、志しを納める様式です。
私は500円お納めしました🙏


市川市指定有形文化財
大本山法華経寺黒門附扁額
昭和三十六年指定
この門は法華経寺の総門で、全体が墨塗りとなっているため黒門と呼ばれています。
建立年代は明確ではありませんが赤門(仁王門)の創建と同じ、江戸時代の初期頃と考えられます。
門の形式は高麗門(こうらいもん)と呼ばれる形式で、四角の本柱二本と丸い控柱二本で構成され、本柱の上には細長い切妻屋根を掛け、本柱と控柱の間にも一段下げて直角に切妻屋根を掛けます。
もともと高麗門は城郭の外門に設けられたので板が付けられますが、黒門には門扉が付いた痕がなく、当初から吹き通しの門でした。
建立後、度々の修理が行われましたが、これは控柱が掘立で五〇年程度での取替えが必要なこと、屋根葺替えや塗装が主なる修理内容です。
本柱など本体構造は当初の状態で残っています。
なお、正面中央に掛かる扁額は掛川城主太田資順の筆で、裏面に寛政五年(一七九三)の刻銘があり、門の附指定です。全体に彩色が施され、文字は浮彫りになっています。
如来滅後
閣浮提内
本化菩薩
初轉法輪
法華道場
平成二十一年七月より十七か月を要して解体修理を施し、基礎を新たにコンクリート造に改め、控柱を取替えて従来の掘立柱を継承した。また、屋根の銅板を草替えたほか、腐杉していた木昇等を取替えて塗装を塗り替えた。併せて扁額の修理も施した。
平成二十二年十一月
大本山 法華経寺
市川市教育委員会

山門


日蓮宗大本山 法華经寺
正中山法華経寺は、祖師日蓮の足跡がみとめられる日蓮宗の霊跡寺院・大本山です。
中世、この地は八幡荘谷中郷と呼ばれ、下総国守護千葉氏の被官である富木常忍と太田乗明が館を構えていました。
彼らは曽谷郷の曽谷氏とともに、日蓮に帰依してその有力な檀越となりました。
時に鎌倉時代の中期、建長年間(一二四九~五五)頃のことです。
彼らの館には持仏堂が建立され、のちにそれが寺院となったのが法華経寺の濫腸で
す。若宮の富木氏の館は法華寺、中山の太田氏の館は本妙寺となり、当初は両寺が並びたって一寺を構成していました。
この両寺が合体して法華経寺を名乗るのは、戦国時代の天文十四年(一五四五)以後のことです。
富木常忍は出家して日常と名乗り、法華経寺の初代貫首となり、二代目は太田乗明の子日高が継ぎました。
そして千葉胤貞の猶子である日祐が第三代貫首となった鎌倉末期から南北朝期ごろ、法華経寺は隆盛の時代を迎えます。
千葉胤貞は当時、守護ではありませんでしたが、千葉氏の有力な一派として威をはり、下総・肥前などの土地を寄進して、日祐の後押しをしています。
日祐は胤貞の亡父宗胤の遺骨を安置し、名実ともに法華経寺を胤貞流千葉氏の氏寺とし、その後の法華経寺の基礎をつくりました。
その後、室町時代をへて江戸時代に至ると、ひろく庶民にまで信仰される寺院となりす。
法華経寺には、祖師日連の書いた「出正製国論」「観心本事務」の国宝や重要文化財をはじめとして多数の聖教(仏典)類が保管されています。
これは千葉氏のもとで文筆官僚の任にあたっていた日常が熱心に整理保存に意をそそいで以来、寺内の宝蔵や坊で厳重に保管されてきた結果です。
現在は境内の奥の堅牢な聖教殿で保管されており、その伝統はいまも確かに受け継がれています。
また、日蓮自筆の聖教の裏からは、鎌倉時代の古文書が発見されました。
これを紙背文書と言います。
これは富木常忍が提供した千葉氏関係の事務書類を、裏返して著作の料として日蓮が使用した結果、偶然のこされたもので、歴史に残りにくい人身売買や借金の実態など、当時の東国社会の生々しい現実を知る貴重な資料となっています。
寺内にはその他、重要文化財の法華堂・祖師堂をはじめとする堂舎、絵画や古記録・古文書などの数々の文化財があります。
また周辺には日蓮が鎌倉にむけて船出したという二子浦(現船橋市二子周辺)の伝説など、日蓮にまつわる伝説も豊富に残されていす。
これらにより大本山としてはもちろん、さながら文化財の宝庫として、法華経寺の名は全国に知られています。
平成十年十二月
市川市教育委員会

祖師堂

祖師堂は、日蓮宗を開した日蓮聖人を祀る大堂です。
鎌倉時代の正中2年(1325年)に創建され、時は柱と柱の間が五つある五間堂という造りでした。現在の祖師堂は延宝6年(1678年)に上棟されたものです。
造りは七間堂で、正面から見た横幅が約26.5メートルあり、屋根を二つ並べたような比糞火母屋の形式を持つのが特徴です。
この造りの屋根は全国的にも大変珍しく、他には岡山県にある国宝の吉備津神社本殿だけとなります。
堂内は、正面吹き抜けの外陣、本尊が祀られた内陣、その両脇の脇庫と背面の後庫に区切られています。
内陣と外陣の境上部には携格子、下方には聖なる領域と俗なる領域を分ける結界と呼ばれる、取り外し可能な仕切りがあります。
また内陣と脇陣の境にも同様な結界があり、大きな行事の際には、これらを開け放って堂内を広く使うことができるように工夫されています。
天井は格線天井と呼ばれるもので、黒塗りされた格子を基盤目状に組んでいます。
天井板には法華経寺の寺紋である桔梗紋が描かれ、特に内陣を囲むように極彩色で塗られ荘厳な趣になっています。
このような祖師堂の規模や形式からは当時の庶民仰の盛んな様子がうかがわれます。
祖師堂は江戸時代初期の慶長6年(1601年)の修理の様子を記録した木製の棟札とともに昭和60年5月18日に国指定重要文化財に指定されました。

浄行菩薩

手水舎

本堂

重要文化財 法華経寺五重塔
大正五年五月二十四日指定
建築年代 江戸時代 元和八年(一六二二)
構造形式 三間五重塔婆 瓦棒銅板葺
この五重塔は本阿弥光室が両親の菩提を弔うために、加賀藩主前田利光公の援助を受けて建立したものです。
塔の総高は九八尺(約三十m)で近世の五重塔としては標準的な規模となり、東京都大田区池上にある本門寺の五重塔(重要文化財)や台東区上野の寛永寺五重塔(重要文化財)とほぼ同じですが、他のものと比較すると軒の出が少ないので細長い感じを受けます。
建築様式は和様を主体として造られていますが、最上重のみは禅宗様になっています。
これは明治四十五年に半解体修理が施された際に変更されたものとみられます。
また、初の正面は両開きの横唐戸、両脇には窓枠に等間隔に格子をはめ込んだ連子窓を取り付けた伝統的な形式を守っています。
塔の内部には中心に心柱、その外側には四天柱と呼ばれる四本の柱を立て、さらに禅宗様須弥壇(仏像を安置する壇)を置き、木造釈迦如来・多宝如来坐像(県指定文化財)を初っています。
四天柱をはじめとして内部は極彩色や栄漆で塗られ荘厳にされています。
昭和五十五年に修理が行われて外部に弁柄塗りが植されました。
平成十一年三月
市川市教育委員会

市川市指定 有形文化財
法華経寺銅造釈迦如来坐像
平成三十一年三月十三日指定
この釈迦如来坐像は青銅製、鋳造で、総高が四・五二m、像高は三・四五mです。
本像は銘文によると、享保四年(一七一九年)に第五十九代貫首日禅上人を大願主とし、広く現世の安穏を祈り法華経の流布を願って造立されました。
江戸時代後期には江戸町中及び近郊には十一体の大仏(如来形)が知られるが、現存するのは九体であり、その中で本像は最も大きい規模を有しています。
本像の鋳造にあたった鋳物師は江戸神田鍋町の太田駿河守藤原正義です。
藤原正義は江戸時代の江戸中期に活躍した鋳物師で、有名な江戸六地蔵の五体を手掛けており、本像と合わせて計六体の六(四・八五m)の坐像仏を宝永五年(一七〇八年)から享保四年(一七一九年)の十一年間で製作しています。
本像は銅像で木型による鋳造と推定されます。
背面の中央には一辺が約六〇センチの扉が設けられ、胎内に入ることができ、また背面の扉を挟んで上方肩部と下方の腰部に、造立の因縁や由緒などについて書かれた銘文が豊富にまれています。
本像は、時期(江戸中期)、大きさ(大型に属す)、鋳物師(江戸中期に活躍した正義銘)の三点の江戸大仏の条件を備えており、江戸の大型鋳造技術研究においては、平成二十八年(二〇一六年)四月から平成三十年(二〇一八年)三月の修理に伴う調査で、江戸大仏全四十体の中で唯一製作技術を完全に解明したことや、外面・内面全ての三次元計測、金属成分分析などの科学的成果を得た点においても、今後の江戸大仏研究の基準となる多くのデータを得ることができました。
江戸時代の大仏として、品質、技法が優秀であり、蓮台内の調査成果や大仏に刻まれた銘文の解明により、江戸時代中期の信仰や宗教活動を知る上で貴重な資料となることから、市指定文化財に指定されました。
令和三年三月
市川市教育委員会


聖教殿
ー、この建造物は「聖教殿」と申します。
中山法華経寺には、日蓮大聖人の神真筆、国宝、観心本尊抄、立正安国論を始め重要文化財六十四点、その他が格護されてありまが、その完全な保存をはかるために建てられたものであります。
盗難、火災、虫害、湿気の害等を長きに亘って受けないよう、近代科学の教えるところをとり入れた保存方法が講じられています。
ー、この宝殿が建設されたのは、昭和六年でありました。
計画の発議は、そのほご七年前、当時の法華会理事長東京帝国大学教授法学博士 山田三良氏を中心に法華経寺、日蓮宗宗務院、其の他多方面の協力によって実行された事業であります。建物の設計者は、東京帝国大学教授工学博士 伊東忠太氏でありました。
ー、宝殿の建設と同時に「聖教護持財団」という財団が組織され、今日も引続き海真蹟の保存護持に当って居ります。
御真蹟は毎年十一月初旬に展覧されます。
法華经寺
說明板 寄贈者 平成十一年度 大荒行堂

重要文化財 法華經寺四足門
大正五年五月二十四日指定
建築年代 室町時代後期
構造形式 四脚門、切妻造、こけら葺
四足門はもと鎌倉の愛染堂にあったものをこの地に移したと伝えられています。
法華経寺では、はじめ本院の玄関門としていましたが、明治になって法華堂前の現在の場所に移されました。建築年代は形式より室町時代後期と思われます。
この門はほぼ純粋な禅宗様の様式で造られ、本柱を棟近くまで延ばし、この前後に控柱を立てて、これらを海老虹梁という湾曲した豚の強い梁で繋ぐ珍しい構造です。
柱の断面はやや楕円形でこれも他に例のないものです。
さらに彫刻類の装飾が多いことも特徴のひとつで、それぞれ室町時代後期に多くみられる文様や形をよく現しています。
これらの装飾は全て正面を意識して造られていることから、もとは側面の両側に堺を付属させた入口門であったと考えられます。
また建具は和様の板唐戸を用いて様式的な変化を持たせています。柱、虹梁(楽の一種)など主要な部材には機、その他の部分には・杉・桜などを用いています。
昭和十年に解体修理が行われ、大部分の部材が新しいものと取り替えられましたが、使用可能なものは文化財の保存の意味から再用しています。
平成十一年三月
市川市教育委員会


重要文化財 法華経寺法華堂
大正五年五月二十四日指定
建築年代 室町時代後期
構造形式 桁行五間、梁間四間、一重、入母屋造、銅板葺附棟札五枚
法華堂は法華経寺の本堂で、釈迦・多宝両尊像を本尊としています。
堂の創建は文永年間(十三世紀後半)に富木常忍が若宮の館に建立し、後にこの中山に移されたと伝えられ、銭日貫文で建てられたことから四貫堂とも呼ばれています。
現在の法華堂は様式から室町時代後期に再建されたものと思われます。
もとは祖師堂と同じ地盤に建っていましたが、江戸時代中期に行われた祖師堂の建替えに伴ってこの場所に移されました。
建物は桁行五間、深間日間の小規模な五間堂で、屋根の銅板葺は江戸味代後期の改造によるもので建立当初は茅葺でした。
内部は正面一間の柱間を大きくとった吹き放しの外陣と一室の内陣からできています。
柱や須弥壇(仏像を安置する壇)の配置などからは、内陣の奥行きを大きく取ろうとしたエ夫が見られます。
なお、外陣正面にある「妙法花経寺」の額(市指定文化財)は本阿弥光悦によって書かれたものです。
法華堂は禅宗様を基調としながら和様を巧みに取り入れた形式で、日蓮宗仏堂としては最古に属する重要な遺構です。
平成十一年三月
市川市教育委員会



京成中山駅より徒歩5分。
江戸三大鬼子母神・中山鬼子母神の法華経寺にお参りしました。
敷地は広大で様々なお堂や多様な堂宇があります。お参りしていると鶯の鳴き声が聴こえてきて心が和みました。
山号:正中山
宗派:日蓮宗
寺格:大本山(霊蹟寺院)
本尊:十界曼荼羅
創建年:文応元年(1260年)
開山:常修院日常
中興:日祐
札所等:東国花の寺百ヶ寺 千葉3番
・法華寺は世界三大荒行の地
・十界曼荼羅(じっかいまんだら)は、日蓮宗で本尊とされる曼荼羅で、中央に「南無妙法蓮華経」の題目(題号)を大きく書き、その周囲に仏や菩薩、十界の名称などを配置。十界とは、地獄界、餓鬼界、畜生界、修羅界、人間界、天上界の六凡と、声聞界、縁覚界、菩薩界、仏界の四聖を合わせたもの。

総門


始祖堂


鬼子母神堂

御朱印

五重塔(重要文化財)

銅造釈迦如来坐像(中山大仏)

刹堂


法華堂(重要文化財)

宇賀神堂



八大龍王堂


前から行ってみたかった法華経寺様へ🙏🏻
お堂と山内寺院•塔頭が17寺院?あり、見所満載なのですが敷地が広いのと、ぐるっと周って観るのではなく脇道?からさらに枝分かれしたりするので敷地内でGoogleマップがグルグルマップに💦自分がどの道を通って何処まで観てきたかも分からなくなり挫折してもう帰ろうかと思ったほど😣
なんとか寺務所をみつけて御首題をいただき帰宅してから調べてみると行ってない所がたくさんありました😢またリベンジです
この日は、正五九鬼子母神大祭とゆうのがあったようで、あちこちの寺院様からお経がきこえていました。
【法華経寺】
鎌倉時代に日蓮大聖人が最初に開かれた五勝具足の霊場です。
大聖人のご生涯には四度の大きな法難があり、文応元年(1260年)松葉ヶ谷の焼き討ちの折、大檀越であった下総若宮の領主富木常忍公と、中山の領主太田乗明公が、当地に大聖人をお迎えして御弘通をお願いされました。大聖人自ら立像釈迦牟尼佛を安置され、法華堂開堂供養会を営み、百日百座の説法をなされたことに始まります。
文永元年(1264年)11月11日、大聖人は房州小松原において法難に遭われ、眉間に疵を負う危急の折、鬼子母神さまが出現され、大聖人の一命を救われました。中山に避難された大聖人は鬼子母神さまの霊験を深く感じ、その尊像を御親刻開眼されました。
爾来、「中山の鬼子母神」は法華経行者擁護の守護神として、さらに天下泰平•万民快楽•所願成就•子育ての神様として全国のご信者の皆様によって篤く信仰されています。
弘安五年(1282年)に日蓮大聖人がご入滅されると、富木常忍公は出家して、名を日常と改め館を「法華寺」に改めて住持となり、大聖人の御真蹟遺文を恪護されました。その後、若宮法華寺と中山本妙寺を合わせて、現在の正中山法華経寺となりました。

通年御首題

☆総門(黒門)•市指定重要文化財☆
山門ヘまっすぐに延びる参道は現在、商店街になっていますが、その途中に立つ黒門は法華経寺の総門にあたります。朱塗の山門に対し黒塗のため、この通称名がつきました。
高麗門(こうらいもん)という形式で、矩形の2本の本柱が背後の円柱の控柱に腰貫を通して支えられています。木造で屋根は切妻銅板葺、門扉は最初からつけた跡がなく吹き通しです。控柱の上にも小さな屋根がついています。建築年代は不明ですが、様式から江戸時代初期〜中期頃の建築と考えられています。
静岡県掛川の第3代藩主、太田資順(おおたすけのぶ)公による『如来滅後 閻浮提内 本化菩薩 初転法輪 法華道場』の扁額があり、如来滅後の末法において、本化の菩薩が初めて法華経を説かれた道場であると掲げています。
平成23年に改修工事が行われました。

総門の太田資順公筆の扁額

☆三門☆
大正15年、第118世日修上人代に再建、赤門•仁王門とも呼ばれています。本阿弥光悦による扁額『正中山』は関東三額のひとつとされています。
境内側の『興法閣』という扁額は小松宮彰仁親王によるもの

三門の横の日蓮聖人像


本阿弥光悦による『正中山』の扁額


小松宮彰仁親王による『興法閣』の扁額

☆参道☆
両側には塔頭寺院が並んでいます😊






☆祖師堂と参道☆

☆浄行菩薩☆
浄行菩薩とは法華経に出現する菩薩様で、水が垢や穢れを清めるがごとく、煩悩(苦しみのもと)の汚泥を洗い注いでくださる水徳をお持ちの菩薩様です。
古来、自身の悪いところ、病気•怪我などで痛む箇所を、浄行菩薩さ様のご尊体を「南無妙法蓮華経」と一心に唱えながら磨くことにより、不思議と感応によって治してくださり、身体の病いも、心の病いも洗い清める計り知れない功徳を授けてくださる菩薩様です😊

☆手水舎☆


☆祖師堂(国指定重要文化財)☆
大堂とも呼ばれ18間、4面千葉県下でもっとも大きなお堂です。
延宝6年(1678年)第42世日純上人代に上棟、比翼入母屋造りの様式を持つ全国唯一の仏堂です。
以前は三層錣屋根入母屋形式でしたが現在は建造時の形状とされる比翼入母屋形式に復元されました(柿葺き)
正面には本阿弥光悦による『祖師堂』の大額が掲げられています。
堂内に安置されている日蓮大聖人像は、中老僧日法上人の作で、両脇には当山歴代6祖の御像を奉安します。平成9年、第140世日還上人代に、建立当時の姿に復元されました。

本阿弥光悦による『祖師堂』の大額
内部撮影NGの為、中が写らないようにパシャリ📸



☆妙見堂☆
現在の建物は昭和40年代に再建されました。
第三祖日祐上人が正法護持•国土安穏•除災招福の守護神として、千葉家伝来の北辰妙見菩薩を奉安しています。


☆八大龍王堂☆


八大龍王堂は法華経寺龍王池に浮かぶ小さな島に祀られたお堂。日蓮聖人開眼の八大龍王をお祀りする祠です。
八大龍王堂の開眼は古く、日蓮聖人が日照りに困窮した村人をために、この場所に八大龍王をお祀りする祭壇を作り、雨乞いの祈祷をし、村人を救ったと伝えられています。江戸名所図会によると、龍王池は現在の規模と比較して、かなり大きな池だったようです。また、この龍王池は以来枯れたことがないそうです。
八大龍王は霊験あらたかで、農家のかただけでなく、商人や漁師の間にも広まり、今では出世の神様として、また受験生も多く参拝されています。

☆龍王池☆
鴨さんがたくさんいました🦆


☆殺堂☆
鬼子母神と十羅刹女を安置し、お題目による罪障消滅の霊場として、参詣者が終日太鼓の音を響かせています。また堂内には大黒尊天を奉安し、甲子には多くの信徒が参詣します。





☆法華堂(国指定重要文化財)☆
日蓮大聖人が『初転法輪』の百日百座説法をなされた宗門建築物中現存最古の貴重な堂宇で室町時代後期の建築です。
一尊四菩薩が安置され、室町時代に改修されました。正面には本阿弥光悦による『妙法花経寺』の大額が掲げられています。


☆四足門(国指定重要文化財)☆
この門はかつて本院の入口に建っていましたが、もともとは鎌倉の愛染堂から文永年間(1264年~1275年)に移築したといわれます。四脚門とも呼ばれ、本柱のほか前後に楕円に作られた4本の控柱(ひかえばしら)があります。正面1間、屋根は切妻柿葺で、中央本柱間に両開きの扉をつけています。本柱と控柱を海老虹梁(えびこうりょう)という、湾曲した梁で結び、柱上の組物の形、配置法、柱下の礎盤(礎石)など、全体に唐様の様式が見られます。また細部に装飾的な技法があり、頭貫(かしらぬき)の木鼻•懸魚(げぎょ)•桁隠(けたかくし)の絵様彫刻など、室町時代の特徴も見られ、門の建築もそのころと考えられています。
主要な部材にはケヤキ、その他にはヒノキ・スギ・サクラなどが使われています。昭和10年の解体修理で大部分の部材が新しいものになりましたが、使用可能なものは再利用しています。

☆宇賀神堂☆
当山の守護神、宇賀徳正神が奉安されています。
宇賀弁財とも云われ、豊作•豊漁、財福の神として広く信仰されています。

☆宝殿門☆




☆聖教殿☆
日蓮大聖人の多くの御真蹟が、当山聖教殿に伝存されています。
昭和6年、日蓮大聖人第600遠忌事業として、聖教殿が建設されました。





☆日蓮宗大荒行堂(常修殿)☆
堂内には釈迦•多宝•四菩薩等の諸尊が奉安されています。
日蓮大聖人が当山に遺された御祈祷の秘伝を伝えるとともに、「止暇断眠」「読経三昧」に全身全霊をかけ、苦修練行がおこなわれます。




☆大院大客殿☆
平成9年、初祖日常聖人第700遠忌事業として、第140世日還上人代に再建されました。
寺務所•客殿•僧坊を兼ねる総合的な機能を持つ建物です。

大客殿に入ると正面に長い廊下があり、この奥に鬼子母大尊神堂があったようです😣
大客殿に入った右側に寺務所があり御首題をいただけました。

☆鐘楼☆

☆日常聖人像☆


☆銅造釈迦如来坐像(中山大仏)•市指定有形文化財☆
享保4年(1719年)第59世日禅上人代に鋳造され、身丈1丈6尺(3.56m)•台座2間半の大仏で、鋳像では千葉県一の大きさです。


☆五重塔(国指定重要文化財)☆
元和8年(1622年)、第18世正教院日慈上人代、本阿弥光室が父•光徳の3回忌と母•妙光の5回忌にあたる元和8年(1622年)に、加賀藩主•前田利光公の寄進により建立されました。

3間4面銅版葺。総高は31.6メートル。江戸時代初期の様式をとどめる県下唯一の五重塔です。落ち着いた和様の形式を持ち、各層の大きさは方三間、初層から四層まで軒二重繁垂木で、最上層の垂木だけを扇垂木としているところはこの時代の傾向を示しています。
細部の装飾は少なく、蓑束と格子、窓下の格狭間以外には彫刻なども見当たらず、外部全体は朱塗で仕上げられています。屋根は銅板瓦棒葺で、二層以上はぐるりと回縁高欄がありますが、初層は高欄がなく、四面とも中央に桟唐戸があり、両脇に連子窓をつけています。塔の内部は初層だけが部屋としての体裁をもち、心柱を囲んで金箔を施した四天柱が立ち、高欄を巡らせて須弥壇が作られています。柱上部や組物には美しい彩色模様があります。
関東地方には江戸時代以前の五重塔は少なく、法華経寺のほかには3基残るだけです。

☆絵馬堂☆

☆蔣介石胸像☆
1972年(昭和47年)の日中共同声明に伴う日台断交時に当時の住職が日華友好を願い建立しました。
【日蓮宗大荒行堂で2度目のご祈祷「日本の仏教も大丈夫だ」】
日蓮宗大荒行堂でご祈祷を受けました。世界3大荒行のひとつとも言われる大荒行堂です。
なんと2週間ぶりの2度目でございます。
昨年2024年12月30日にも、ホトカミユーザーさんと一緒に、お世話になっている住職さんにご祈祷いただきました。
今回は、日蓮宗妙法寺(神奈川県横浜市)の久住住職にお誘いいただき、
妙心寺専門道場で9年間修行された臨済宗妙心寺派の龍雲寺(東京都世田谷区)の細川住職、
天台宗で百日回峰行を満行された普賢寺(東京都府中市)の小野住職、
一般社団法人未来の住職塾の遠藤さんとご一緒させていただきました。
細川住職、小野住職ともに、ホトカミサポーターとしても、応援して下さっていて、
また遠藤さんは数少ない私と同じように一般家庭の出身でありながらお寺を支えるお仕事されている大先輩です。
今回は、5回目の荒行中である、宮崎県の龍雲寺の吉田住職にご祈祷していただき、ご祈祷の後も面会にてお話伺わせていただきました。
吉田住職、とっても優しそうな表情が印象的でした。
荒行の終盤で、厳しい修行すぎて眉間にシワが寄るほど、辛そうな表情をしていてもおかしくないと思うなか、
本当に本当に優しい表情や雰囲気でお話しくださいました。
そのお姿に、こんな人が世の中にいるんだ、と感動しました。
帰り道、ご一緒させていただいた住職の皆さんが、
「かっこよかったね」「また行に入りたくなった(修行したくなった)」「日本の仏教も大丈夫だなと思った」などと、感想を語り合ってらっしゃる様子に、かっこいい〜〜〜〜!!!って思いました。
貴重な時間と機会をありがとうございました!

最後に集合写真

お札をいただきました


築地本願寺さんと同じ建築家


こちらから入って、100日後に出て来られるそうです。



鬼子母神さんが子供の代わりに食べるようになったザクロを探してみてください

【世界三大荒行の日蓮宗荒行堂でのサポーターさんの健康と幸せをご祈願】
ホトカミサポーターの皆さん、今年も本当にお世話になりました。
御朱印・神社お寺の検索サイト「ホトカミ」運営代表の吉田 亮です。
人生で一度は体験していただきたい、日蓮宗の荒行堂でのご祈祷レポートをまとめました。
毎月500円でホトカミをサポートして下さる皆さまへのお返しとして、
プレミアム検索、お気持ちで特典(会員証を寺社で見せると特典をいただける)、バナー広告の非表示に加えて、
毎月全国の神社お寺で、「健康と幸せを祈願」させていただいております。
今回は、千葉県法華経寺の荒行堂にて特別にご祈祷いただきました。
数名のサポーターさんもご一緒しました。
■死ぬほど厳しい日蓮宗の修行
日蓮宗の荒行は、世界三大荒行に数えられるほど、厳しい修行です。
どんな修行内容かというと、11月1日から2月10日までの100日間、毎朝午前2時半に起きて、午前3時から3時間おきに冷たい水をかぶる水行を行い、朝・昼・夕・夜の4回も勤行し、その他の時間も常にお経を読み続けます。
毎日睡眠時間2時間半です。食事も朝と夕方の2回に、おかゆと味噌汁のみです。
厳しすぎます。本当に命懸けです。
■ホトカミでもお世話になっている住職さんが修行へ
お気持ちで特典で、ホトカミちゃんの特別ハンコを用意してくださるなど、
以前から、とてもお世話になっている長野の三澤寺の武田住職が今回、2回目の荒行に取り組まれています。
武田住職とのご縁がきっかけで、今月のご祈祷は特別に荒行堂でお願いしました。
ご祈祷の様子などは全て非公開で写真撮影も禁止でした。
ネットで検索してもほとんど情報が出てきません。
お伝えしたいのは、「ご縁があれば、人生で一度はぜひ法華経寺の荒行堂でご祈祷を受けてみて下さい」ということなのですが、少しでも今後お参りされる方の参考になればと思い、以下をまとめました。
■荒行堂でのご祈祷をお願いする方法
大前提として、一般の方でも依頼することは可能だそうです。
しかし、めちゃくちゃ難しいかもしれませんが、
「なにかご縁のあるお坊さんにご祈祷をお願い」することが大事だと感じました。
今回特別にご祈祷の前にも、私とサポーターさんで武田住職と面会の時間をいただきました。
ご祈祷受ける前の質問に答えていただいたり、ひとりひとりがしっかりご挨拶できました。
10年前の初めての修行の際は、辛くて仕方がなかったそうです。
しかし、2回目となる今回は、「しっかり修行して、いただいた功徳やご利益をお参りの皆さんに届けたい。そのために、昨日よりも少しでも良い自分を目指したい。」という気持ちで取り組まれているそうです。
お言葉や表情からも、この10年間、たくさんのお参りの方と向き合ってこられた武田住職の姿勢が伝わってきました。
また、特別な空間での初めての体験に緊張してしまったので「どんなことを思いながら、ご祈祷を受けたらいいですか?」と質問したところ、
「仏法とのご縁によろこぶ法悦(ほうえつ)という言葉があるように、ワクワクしながら体感して、何かを受け取っていただけたら」と緊張をほぐして下さいました。
事前に面会の時間をつくってくださり、しっかり想いを汲んでいただいた上で、ひとりひとりのお名前を読み上げていただき、
ご祈祷していただけたことが、感動にもつながったと思います。
■何も考えられなくなり、雑念がなくなったご祈祷
面会の後、控え室へ通されると、すでにお経が響き渡っています。
看板に、日蓮聖人の「信心よはくては、佛に成らん事叶ひ難し、たとひ貧なりとも信心強して志深からんは、佛に成らん事疑ひあるべからず。」などの言葉や荒行についての説明が書かれていたので、それを繰り返し読みながら、ワクワクと緊張を募らせました。
そしていよいよ、ご祈祷へ。
いやー、どんな様子だったのは秘密にしておきたい気持ちもあるのですが、
武田住職にもレポート楽しみにしてますとの言葉いただきましたし、ぜひ体感してみていただきたいので、なるべく具体的な言及は避けながら書きます。
そして記憶が曖昧な点もあるので、あくまで私個人が受け取った内容として書きます。
まず部屋に入ると、お坊さんの数にびっくりしました。
そして、私とサポーターさんの数だけイスがあり、イスに座りました。荷物はイスの下に置きます。
そして、ご祈祷が始まりました。
ご祈祷の趣旨や参列者の名前を読み上げていただきました。
ホトカミを通じて全国の神社お寺とたくさんの人々のご縁が生まれていることや、会社、社員、サポーターさん、ユーザーさんの所願成就、
さらに、「ホトカミのPVが倍増しますように!登録者が増えますように!」など、かなり具体的な願意までご祈願して下さいました。
「ご縁のあるお坊さんにご祈祷をお願い」することの尊さを感じたの瞬間でした。
本当に想いが伝わってくる感じがしました。
そして、お経の迫力に、何も考えられなくなりました。
考える気力が失われたと言っても過言ではありません。
抗って何度か思考を試みたのですが、本当に何も考えられなくなりました。
しかし、それは恐怖とかではまったくなく、全身が何かに包まれれているような感じでした。
なんてことを感じているうちに、ご祈祷も終盤へ。
最後に、お加持(かじ)という、功徳やご利益を授ける行為をしていただきました。
天台宗や真言宗などの密教でも、護摩祈祷の際、お加持をしていただいたことがありますが、
これまで受けたお加持のなかで、最も力強く感じました。
放心状態となっているところ、ご祈祷は終わりました。
終了後も、武田住職と面会する時間をいただきました。
ある参加者さんは、「何も考えられなくなることで、雑念もなくなり、お祓いとなるのかも」という感想を仰っていて、なるほど!と思いました。
■「信」じることの尊さ
今回の日蓮宗の荒行堂でご祈祷を受けて感じたのは、「信」じることの尊さです。
実際、世の中どうなるかは、自分のことでさえ、誰にも分かりません。
ご祈祷を受けたから、どうなるのかの確証も、現代の科学では解明されていないかもしれません。
しかし、少なくとも、この荒行堂のなかでのご祈祷の瞬間においては、
本気で、文字通り命懸けで、祈ってくださるお坊さんたちがいるということ、その姿から、
「信」じることの価値を感じました。
ご祈祷を受けながらは、何も考えることができませんでしたが、
終わってから、じわじわと、そんなことを思いました。
そして今回、特別に武田住職のはからいで、サポーターの皆さんのお名前を書いた奉納紙は、
百日の修行が終わるまで、神前(鬼子母神さま)にお供えして、武田住職が毎日ご祈願くださるそうです。
340名のお名前も少しずつお読みあげくださいます。本当に感謝です。
武田住職が無事に修行を終えられることを祈りながら、
いつか長野県の三澤寺さんで、オフ会を開催したいと思います。
新年2025年が、サポーターの皆さん、ユーザーの皆さん、そして私含めたホトカミ運営メンバーみんなにとって良い一年になることを信じて、2024年を締めくくります。
今年も1年間、本当に本当にありがとうございました。
よいお年をお迎えくださいませ。
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立派なお札をいただきました。

すっかりお正月準備モードの法華経寺

立派な建築です。


法華経寺の由来

立派な五重塔

推しの前田利光さん御寄進で高まりました。

重要文化財の祖師堂


荒行堂内で撮影できたのはこの写真のみです。

日蓮宗大荒行堂

荒行について

日蓮聖人の言葉など

御朱印を書き置きでいただきました。

お札

このなかには、なんと!ビックリなものが入っていました。(食べるお守りでした。)

伊勢神宮のお札と同じ和紙に印刷した、
サポーターの皆さまのお名前、今回もしっかりご祈願させていただきました🙏



中山法華経寺の荒行堂にて特別なご祈祷を受けてきました。
大変貴重な体験をさせていただきました。
部屋に入るとそこはもう異空間で、皆様も仰っていたのですが、ご祈祷中は本当に何も考えられなくなり、お経の海の中に放り込まれたような感覚でした。荒行堂の鬼子母神様を拝めたことも嬉しかったです😊
体験した者だけが味わえる感動があり、このご祈祷にハマる方がいると仰っていたのもわかる気がします!
代表の吉田様、武田住職様、このような機会を与えていただき本当にありがとうございます!住職様が無事に修行を終えることをお祈りしています✨
┈┈┈┈┈┈••✼✼••┈┈┈┈┈┈
法華経寺は大きな寺院で写真の枚数が多いので、オフ会と個人でお参りしたものと投稿を2つに分けようと思います。また後程投稿したいと思います。






先の投稿の続きです。(写真が多いのでオフ会の投稿とわけさせていただきました🙇)
塔頭寺院のある大きなお寺にお参りしたのは初めてで、その広さに驚きました!自分に御縁のある仏様ばかりが奉安されていたので、オフ会前に一通り巡りたいと思い早めに来たつもりでしたが、もう少し早くても良かったかもしれません💦
荒行堂でのご祈祷が1番なのは言うまでもありませんが、聖教殿の異国にいるような錯覚と厳かな雰囲気も強く印象に残りました✨
今年は妙見菩薩様との深い御縁をいただきました。来年はどんな御縁が繋がるか楽しみです😊まだ12月分の全ての投稿ができていませんが、ひとまずここで!
皆様どうぞ良いお年お迎えください🎍

『黒門』
法華経寺の総門にあたります。高麗門という形式で、建築年代は不明ですが様式から江戸中期ごろと考えられます。中央の扁額は、掛川城主・太田資順の筆によるもので、「如来滅後 閻浮提内 本化菩薩 初転法輪 法華道場」とあります。


『三門』
大正15年、第118世日修上人代に再建され、赤門、仁王門とも呼ばれています。



三門の写真を撮ろうとしてたら「にゃーんにゃーん」との声が!

足元に来てすりすりしてきました🥰かわいかった💕



『五重塔』
元和8年(1622)本阿弥光室が両親の菩提を弔うために、加賀藩主前田利光公の援助を受けて建立したもの。塔の高さは30mです。
木造釈迦如来、多宝如来坐像を祀っています。


手水舎


『星の井』
日蓮聖人も利用したと伝わる井戸です

『祖師堂』
日蓮宗を開宗した日蓮聖人を祀る大堂です。鎌倉時代、正中2年(1325)に創建され、造りは七間堂で屋根を二つ並べたような比翼入母屋造の形式を持ちます。この屋根の造りは全国的にも大変珍しく、他には岡山県にある国宝の吉備津神社本殿だけとなります。




『絵馬堂』


『萬霊供養塔』

『法華経寺銅造釈迦如来坐像』
享保4年(1719)の建立。
江戸時代の大仏として品質、技法が優秀であり、江戸中期の信仰や宗教活動を知る上で貴重な資料になることから市指定文化財になっています。

『鐘楼堂』


『本院大客殿(鬼子母大尊神堂)』
寺務所・客殿・僧坊を兼ねる総合的な機能を持つ建物です。平成9年再建されました。
鬼子母神様は廊下を通った奥にいらっしゃいます。

『車祈祷所』

『十三重石塔』

『寳殿門』



『聖教殿』
中山法華経寺には日蓮聖人の御真筆、国宝、観心本尊抄、立正安国論を始め重要文化財六十四点、その他が格護されていて、その完全な保存をはかるために建てられたものです。昭和6年の建立で、インドの仏教建築を模しています。


『題目塔』

『諸願成就祈願堂(清正公大神祇堂)』
御奉安の清正公大神祇は俗に「清正公さま」と呼んで親しまれ、その昔より除災開運・合格・必勝等諸願成就の強い功力のある非常にあらたかな神祇として知られ広く世衆の信仰をあつめて来ました。
素直な心で深く信仰し祈願する事によって願いが成就し、災難を除き運が開かれて、必ず幸福が得られると言われております。
勉強不足で加藤清正公が日蓮宗の大檀越ということを知りませんでした。帰りに吉田さんに教えていただきました😊


『太田稲荷大明神』
太田乗明邸の守護神。太田乗明公は富木常忍邸で行われた日蓮大聖人の説法を聞いて大変感動し、真言宗の信心をやめて御題目のご信者になった方です。


ハチマキしていてとてもかわいいです🥰

おまけに美人さん

『宇賀神堂』
宇賀徳正神が奉安されています。宇賀弁財とも云われ財福の神として広く信仰されます。祖師堂建立に際し宇賀神が現れ、「お堂を建ててくれたら中山を守護する」との託宣があり宇賀神堂を建てたという伝承があるそうです。

『法華堂』
創建は文永年間(1264-1275)に富木常忍が若宮の館に建立し、後に中山に移されました。現在の法華堂は室町後期に再建されたものと思われ、もとは祖師堂と同じ地盤に建っていましたが、江戸中期の祖師堂の建替えに伴いこの場所に移されました。

『四足門』
もと鎌倉の愛染堂にあったものをこの地に移したと伝えられます。建築年代は室町時代後期と思われます。

『刹堂』
鬼子母神堂ともいい、十羅刹女・鬼子母尊神・大黒天が安置されています。
3代将軍家光公の時代に鎌倉から移築されたといいます。日光東照宮で有名な左甚五郎の建築と伝えられています。

『妙見堂』
第3祖日祐上人が正法護持・国土安穏・除災招福の守護神として、千葉家伝来の北辰妙見菩薩を奉安しています。現在の建物は昭和40年代に再建されました。
毎年11月に中山酉の市と呼ばれる妙見尊星大祭が行われます。


ここにも猫ちゃんが🐱


『龍王池』
日照りに苦しむ農民のため、日蓮大聖人が八大龍王を祀って祈願したところ霊験が現れて雨を降らしたといいます。


『八大龍王堂』






皆様、一年お疲れ様でございました☺️
去年全く投稿出来ておりませんでしたが、何か大きな事があった訳ではなく、一年前に起きた夏の人事異動地獄リターンズでした💦とにかく家に帰ったら寝たくて💦
色々お出掛けはしてましたし、野球行った時には勝利祈願で神社にお参りもしておりました⛩️少しずつ投稿しますね📝
さて、久し振りのオフ会ですが、桜で大有名な法華経寺でのご祈祷でした☺️えぇ、事前情報何も調べないで行きましたのでなんか分からんけど何か分からないから楽しみだなーワクワクするなーって気分でした浅い浅過ぎる😆
あまり沢山は書けないんですが、貴重過ぎる体験をさせて貰って……お話も沢山できました☺️本当に、何が起きるか分かってなくて本当にワクワクする時間でした!
ご祈祷、本当に力強くて……物理的に無になれました。
私はお世辞にも心身深いとは言えず、同時に造詣が深いとも言えず、気の向くままと楽しそう行きたいだけで動いておりますが、武田住職とのお話しでワクワクしても良いんだーって思えて終始興味深く見てしまいました👀
その後奥之院に皆様と行ったり、お近くの神社に行ったり、駅までご一緒させて貰ったりと本当に色々と素敵な時間を過ごさせて頂きました!
投稿はまったりペースは変わらないのですが、行きたい場所は沢山ありますのでまた来年度も変わらずお付き合い下さると嬉しいです☺️
皆様良いお年をお迎えください🎍










日蓮宗大本山 霊跡。
鎌倉時代に日蓮大聖人が最初に開かれた五勝具足の霊場。文応元年(1260)松葉ヶ谷の焼き討ちの折、大檀越であった下総若宮の領主富木常忍公と、中山の領主太田乗明公が、当地に大聖人をお迎えして御弘通をお願いされました。大聖人自ら立像釈迦牟尼佛を安置され、法華堂開堂供養会を営み、百日百座の説法をなされたことに始まります。
日蓮宗本山(11/57)

黒門

山門(赤門)仁王門

日蓮大聖人像

五重塔【重要文化財】

祖師堂【重要文化財】

中山大仏(釈迦如来坐像) 江戸時代 太田正儀作

鐘楼堂

荒業堂から祖師堂に渡る回廊

荒業堂

本院・鬼子母神堂
文永元年(1264)11月11日、大聖人は房州小松原において法難に遭われ、眉間に疵を負う危急の折、鬼子母神さまが出現され、大聖人の一命を救われました。中山に避難された大聖人は鬼子母神さまの霊験を深く感じ、その尊像を御親刻開眼されました。
爾来、「中山の鬼子母神」は法華経行者擁護の守護神として、さらに天下泰平、万民快楽、所願成就、子育ての神様として全国のご信者の皆様によって篤く信仰されています。

日常聖人像

宇賀神堂

四足門【重要文化財】

法華堂【重要文化財】

刹堂

妙見堂

額堂

聖教殿

ほぼ20年ぶりくらいの参拝…
神社仏閣にまったく興味がなかった、子供の七五三以来😆今も何も知らない事に大差はないけど、当時は何も感じてなかったのか、境内の記憶はほぼ残ってなくて、こんなんだったんだなぁ…って、これ程の寺院だと尚の事氣持ちのあり方でまるで違って見える不思議を実感…🙏

黒門

仁王門(総門)

日蓮聖人

浄行菩薩

祖師堂

樹木の剪定してて近づけず…😩

鬼子母神堂

中でお参りさせて頂きました🙏

日常聖人…

聖教殿

祖師堂全景

ニャン💤

鬼子母神堂
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