そがひめじんじゃ
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楽しみ方蘇我比咩神社のお参りの記録一覧
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下総国千葉郡の式内社になります。
昨年、神奈川県横須賀市に鎮座する走水神社の参拝をきっかけに当社を知り、上がらせていただきました。
蘇我比咩大神と千代春稲荷大神を主祭神とし、中世には春日信仰が中心となり春日大明神と称していたといいます。
ご由緒によると、景行天皇の御宇、日本武尊は御東征のおり相模灘で暴風雨に阻まれ立往生してしまいました。龍神の怒りを鎮めるために妃の弟橘媛はその身を海中に投じましたが、その時同伴の五人の姫も一緒にその身を投じたといいます。
その五人の姫の一人は蘇我大臣の娘で、この地の海岸に打ち上げられ、里人の手厚い看護で蘇生され無事に都へ帰ることができたといいます。また里人は、日本武尊が東征の途中にて崩ぜられたことを知ると慰霊の社を建立しました。
この里人の行為に感激した第15代応神天皇は、特別の命により蘇我一族をこの周辺の国造として派遣しました。蘇我一族は代々春日神社、比咩神社を守護神としており、両社の御分霊をいただき「蘇賀比咩神社」を建立されたといいます。
また千葉県神社名鑑には別の伝承として、里人の介抱により蘇生されたのは弟橘媛のことで、媛が『我れ蘇り』と宣り給わったことからこの地を『蘇我』と称した、とありました。
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蘇我比咩神社に参拝し御朱印を頂きました。
毎月1日と15日は浄書していただけます。
カード型のお守を頂きました。
蘇我比咩神社は千葉市中央区蘇我に鎮座します。
ご祭神は蘇我比咩大神と千代春稲荷大神を主祭神とし、天照皇大神・春日神(経津主神・武甕槌神・天児屋根神・天児屋根比売神)・八幡神(応神天皇・比咩大神・神功皇后)を配祀する。
創建は、日本武尊の東征の際、相模から総国に渡ろうとしたとき暴風雨に遭い、それを鎮めるために日本武尊の后の弟橘姫が入水した。社伝によれば、そのとき弟橘姫に付き従ってきた5人の女性も一緒に水に入ったが、そのうちの一人、蘇我大臣の娘の蘇我比咩だけは浜に打ち上げられ、里人の看護により蘇生し、都に帰った。後に里人は、日本武尊が帰途に亡くなったことを聞き、その霊を慰めるために社を建てて祀った。応神天皇はその行為に感激し、蘇我一族をこの周辺の国造として派遣した。蘇我氏は春日大社と比咩神社を信仰しており、両社を勧請して蘇我比咩神社を創建したといわれています。
境内社には大三輪神社・大山阿夫利神社、天照八幡宮、浅間大神が、境内外に三峯神社が鎮座します。
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蘇我比咩神社(そがひめ~)は、千葉県千葉市中央区にある神社。式内社で、旧社格は郷社。蘇我比咩大神と千代春稲荷大神を主祭神とし、天照皇大神・春日神(経津主神・武甕槌神・天児屋根神・天児屋根比売神)・八幡神(応神天皇・比咩大神・神功皇后)を配祀。中世には春日神が信仰の中心で「春日大明神」と称された。
社伝によると、1500年前に創建。第12代景行天皇の皇子であった日本武尊が東征の勅命を受け、妃の弟橘姫らを連れ軍船で千葉沖に差し掛かったとき嵐に遭い、「龍神の怒り」を鎮めるために弟橘姫は5人の姫たちとともに海中に身を投じたところ、嵐は鎮まり日本武尊は無事航海を続けた。その海中に身を投じた姫の一人、蘇我大臣の娘が浜に打ち上げられ、里人の看護で蘇生し、無事都に帰ったが、そののち里人が東征途中で崩御した日本武尊を神として祀り社を建てた話を聞いた第15代応神天皇は感激し、蘇我一族を当地に派遣して国造とした。蘇我一族は代々「春日神社」と「比咩神社」を守護神としていたため、その両分霊を受け当社「蘇賀比咩神社」を建立した。
平安時代927年の延喜式神名帳では「下総国千葉郡 蘇賀比咩神社 小」と記載されている。江戸時代には、徳川家康が社領10石を寄進した。
当社は、JR京葉線・内房線・外房線・蘇我駅の南1kmの住宅街の中にある。近くにはフクダ電子アリーナのある千葉市蘇我スポーツ公園がある。境内は狭い道に囲まれ、周囲はすべて宅地化されており、旧郷社にしては狭く、旧村社クラスの広さ。雰囲気も<ザ・村の鎮守>といった感じだが、ちゃんと宮司さん常駐。
下総国の式内社として参拝することに。参拝時は平日の午後で、自分以外に参拝者はいなかった。
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