すのさきじんじゃ
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洲崎神社ではいただけません
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洲崎神社のお参りの記録(1回目)
投稿日:2021年05月05日(水)
参拝:2020年3月吉日
洲崎神社(すさき~/すのさき~)は、千葉県館山市にある神社。式内社(大社)論社で、江戸時代に安房国一之宮とされた。旧社格は県社。御祭神は天比理刀咩命(あめのひりとめのみこと)で、安房神社の主祭神・天太玉命の后神。元の名を「洲ノ神(すさきのかみ)」と称する。
社伝によれば、神武天皇の治世、天富命が(あめのとみ)祖母神の天比理乃咩命が持っていた鏡を神体として、美多良洲山(御手洗山)に祀ったのが洲崎神社の始まりであるという。
平安時代以降、「安房国 天比理刀咩神」は度々六国史に登場し、927年の『延喜式神名帳』では「安房国安房郡 后神天比理乃咩命神社 大 元名洲神」と記載され、天比理乃咩命神社は大社に列格。1081年には「安房国 天比理刀咩神」は神階が最高位の正一位に達した。
源頼朝は石橋山の戦いに敗れ海路安房国に逃れたが、1180年に帰還を祈願し神田を寄進。翌々年には妻政子の安産祈願に奉幣使を派遣した(『吾妻鏡』の記載)。
江戸時代に入り、洲崎神社は式内社「天比理乃咩命神社」と主張したが、もう一社「洲宮神社」も譲らず、どちらが式内社であるか争うようになった。洲崎神社は、江戸後期に房総沿岸を視察した筆頭老中・松平定信が、当社に「安房国一宮 洲崎大明神」の扁額を奉納したことをもって主張の根拠とした。
明治時代に入り、1872年政府・教部省が洲宮神社を式内社と定めたが、翌年当決定を覆し洲崎神社を式内社とした。また同時に近代社格制度で県社に列した。なお、戦前の1940年頃まで、当社のある房総沖は交通の要衝で、沖を通る船に奉賽を納めさせる風習があったとのこと。
当社は、JR内房線・館山駅の南西12kmにあって、公共交通機関だとバス25分、徒歩10分。車だと富津館山道路・富浦ICから南西に道のり18km。房総半島南端の東京湾に突き出した部分にあって、一之鳥居は海のそば、社殿は海が見渡せる小山の上にある。境内は狭く、社殿も小さくて、現在の雰囲気は<村の鎮守>クラス。兼務社になっていて、通常時は神職の方はいない。
参拝時は週末の午前中で、天気が良かったこともあり、参拝者はぱらぱらと断続的にやって来ていた。非常にラッキーなことに、神職の方がたまたま来ていて、御朱印を直筆で拝受することができた。
社伝によれば、神武天皇の治世、天富命が(あめのとみ)祖母神の天比理乃咩命が持っていた鏡を神体として、美多良洲山(御手洗山)に祀ったのが洲崎神社の始まりであるという。
平安時代以降、「安房国 天比理刀咩神」は度々六国史に登場し、927年の『延喜式神名帳』では「安房国安房郡 后神天比理乃咩命神社 大 元名洲神」と記載され、天比理乃咩命神社は大社に列格。1081年には「安房国 天比理刀咩神」は神階が最高位の正一位に達した。
源頼朝は石橋山の戦いに敗れ海路安房国に逃れたが、1180年に帰還を祈願し神田を寄進。翌々年には妻政子の安産祈願に奉幣使を派遣した(『吾妻鏡』の記載)。
江戸時代に入り、洲崎神社は式内社「天比理乃咩命神社」と主張したが、もう一社「洲宮神社」も譲らず、どちらが式内社であるか争うようになった。洲崎神社は、江戸後期に房総沿岸を視察した筆頭老中・松平定信が、当社に「安房国一宮 洲崎大明神」の扁額を奉納したことをもって主張の根拠とした。
明治時代に入り、1872年政府・教部省が洲宮神社を式内社と定めたが、翌年当決定を覆し洲崎神社を式内社とした。また同時に近代社格制度で県社に列した。なお、戦前の1940年頃まで、当社のある房総沖は交通の要衝で、沖を通る船に奉賽を納めさせる風習があったとのこと。
当社は、JR内房線・館山駅の南西12kmにあって、公共交通機関だとバス25分、徒歩10分。車だと富津館山道路・富浦ICから南西に道のり18km。房総半島南端の東京湾に突き出した部分にあって、一之鳥居は海のそば、社殿は海が見渡せる小山の上にある。境内は狭く、社殿も小さくて、現在の雰囲気は<村の鎮守>クラス。兼務社になっていて、通常時は神職の方はいない。
参拝時は週末の午前中で、天気が良かったこともあり、参拝者はぱらぱらと断続的にやって来ていた。非常にラッキーなことに、神職の方がたまたま来ていて、御朱印を直筆で拝受することができた。
境内入口の<二の鳥居>。すでにここから境内全景が見える。階段が恐ろしい...汗
まずは参道左手にある<手水舎>。左奥は<社務所>。右奥は<随神門>。
階段を少し上がって<随神門>。
綺麗に一直線に上がって行く参道の階段。神域に繋がってる感が満点。公式名称は「厄払坂」。
階段を登り切ったご褒美がこちら。海が綺麗に見える。
階段上って正面にある<社殿>。<一之宮>といっても大きくはない中庸サイズ。
<拝殿>正面。扁額には<安房国一宮 洲崎大明神>の文字。
社殿右手にある摂末社。
右上にあるのが<長宮>。豊玉彦命(海の神)、大山津見命(山の神)、建速須佐之男命(厄除・開発の神)、大物主命(農工商・医薬の神)の4神を祀る。
左上にあるのが<金比羅神社>。金毘羅大神(漁業・航海・医薬の神)を祀る。
長宮から見た<本殿>。少し高い位置にある。
境内左手にある<稲荷神社>。宇迦之御魂命(商売繁盛・五穀豊穣の神)を祀る。
稲荷神社の脇道を進むと、、、(海風で植物が全て左上方向に伸びている。笑)
海を望む展望台のような場所に鳥居が立っている。
この日はうす曇りで海しか見えないが、天気が良ければ<富士山>や<三浦半島>が見えるはず。
ここのあるのが<源頼朝公 笠掛けの松>。海路安房に逃げ込んだ源頼朝が訪れ、傍らの松に笠を掛け、遠く鎌倉を望んだという。実際、当地にはこの話から笠掛(かさげ)という集落があるとのこと。本当っぽい。
山を下り、房総フラワーライン(県道257号線)を渡って、海に近い<一の鳥居>を見に行く。
100mほど進むと<一の鳥居>がある。その奥の海辺にも何かがありそう。
海辺は岩場になっている。展望解説図によると、右から富士山、天城、大島、利島が見えるらしい。
岩場の際にある<洲崎神社御神岩>とその鳥居。周りは芝生になっていて、ちょっとした公園のよう。やはり海風がとにかく強い。
境内入口まで戻って、目立つビビッドな<社務所>。御朱印はこちら。
ここで嬉しいハプニングが。通常当社には宮司さんは不在とのことだが、この日たまたま集まりがあったようで、激レア御朱印を直書きで拝受!
ここで嬉しいハプニングが。通常当社には宮司さんは不在とのことだが、この日たまたま集まりがあったようで、激レア御朱印を直書きで拝受!
すてき
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惣一郎1269投稿
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