たまさきじんじゃ
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玉﨑神社のお参りの記録(1回目)
投稿日:2024年01月06日(土)
参拝:2024年1月吉日
初詣、上総神社巡り④上総十二社の一社とされ、一宮玉前神社の元宮との説のある神社です。物部氏系氏族により創建された古社で、現在の宮司様も物部氏の末裔らいい。もちろん御祭神は豊玉毘売命・鵜葦草葦不合命・火遠理尊(山幸彦)の三柱です。往古は安房神社。香取神社と並び三大神社とされていました。この辺りは玉前(埼)神社が多く点在していますが、こちらの由緒書によるとこちらが大元になる様です。又、境内社二霊神社や琴平神社の由緒なども調べてみると奥が深い神社でした。琴平神社はこちらに玉崎神社が遷座する以前からあった神社のようで、現在は鳥居前に立ち入り禁止の表示がありましたので、」近くには寄れませんでした。写真だけ撮影しようと思い、終わった後に撮影禁止の表示を見つけました。してしまったことは中っとことにできないので鳥居前で謝り、写真が掲載させていただくことにしました。(掲載しなければばれないのですが・・・)御朱印は事前に連絡が良いとのことで今回は参拝のみにしました。
社号標
参道
鳥居
弘化四丁未年(1847)奉納の灯籠
石段
道祖神
寛政十三酉年(1801)奉納の狛犬 狛犬というより犬そのものでした。
手水舎
寛政四壬子年(1792)奉納の手水鉢
茅の輪
文化?七年(1810)奉納の灯籠
境内社鳥居
境内社 琴平神社 (撮ってから撮影禁止に気付きました、すみません)
社号標
句碑
由緒書
御神木
灯籠
拝殿
扁額
本殿
神楽庫
境内社 二霊神社 御祭神:吉野四郎右衛門 森内蔵之助
調べてみると中原村の名主で、当時隣の東浪見村との境界線争いを端に、減らされた中原村の土地に対して年貢が減らされず、強訴を企てた。その際に庁南村の三途台長福寿寺の忍山光海師に、二人の助命を嘆願して欲しいと頼み込んだ。ところがこの動きを知った役人は、ことが面倒になる前にと思い、二人を処刑してしまった。
これに怒った忍山光海は、その場で二人に院号をさずけた。時に寛永3年(1626)のことだったという。二人の墓は、俗に「俗塚」と呼ばれている長塚台の山中にある。文化8年(1811)になると、神祇官が二人の徳行を認めて「霊神」の号を贈り、中原村の玉崎神社に合祀されたようです。
調べてみると中原村の名主で、当時隣の東浪見村との境界線争いを端に、減らされた中原村の土地に対して年貢が減らされず、強訴を企てた。その際に庁南村の三途台長福寿寺の忍山光海師に、二人の助命を嘆願して欲しいと頼み込んだ。ところがこの動きを知った役人は、ことが面倒になる前にと思い、二人を処刑してしまった。
これに怒った忍山光海は、その場で二人に院号をさずけた。時に寛永3年(1626)のことだったという。二人の墓は、俗に「俗塚」と呼ばれている長塚台の山中にある。文化8年(1811)になると、神祇官が二人の徳行を認めて「霊神」の号を贈り、中原村の玉崎神社に合祀されたようです。
社務所 人の気配が無かったのでお声がけはしませんでした
すてき
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サンダー1837投稿
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