とわだじんじゃ
十和田神社のお参りの記録一覧
御祭神 日本武尊 台風5号に追いかけられながら東北をめぐりました、朝8時頃に参拝しました、突然大粒の雨が降りだしましたが、雨にも負けず参拝しました、拝殿は1941年建立のヒバの白木造りとても荘厳で美しいです雨の中でも見とれてしまいました。途中「注意 熊出没」の看板にビビりながらの参拝でした、関西では経験のない事で、どんな山奥でも参拝していますが、やはり東北方面いろいろニュースにもなっているので、この旅行中は山の小さな神社への参拝は控えました。
神社の由来については坂上田村麻呂と南蔵坊のふたつの説があります。明治の神仏分離までは東北地方の十和田信仰の象徴であったとされている
十和田神社(とわだじんじゃ)は、青森県十和田市奥瀬十和田湖畔休屋486にある神社です。御祭神は日本武尊です。大同2年(807年)に坂上田村麻呂が創建したといわれています。古来より十和田信仰(水・青龍信仰)の総本山として知られています。神域内に開運の小径があります。昔修験者たちが修行や祈祷を行っていた6つの修験窟があり、現在は天地諸神の神を祀っています。高村光太郎作の乙女の像があります。十和田湖景色最高、水の透明度すごかったです。最後にお土産とお食事もりたでのバラ焼き定食及びひめます寿司、めちゃくちゃ美味しかったです。お姉さんサンキュです。
拝殿
拝殿
青龍権現社遥拝所
熊野神社・稲荷神社
手洗場
恵比寿・大黒島
風の神
火の神
金の神
山の神
天の岩戸
日の神
開運の小径
乙女の像
乙女の像
バラ焼き定食とひめます寿司
お土産とお食事もりた
十和田湖
十和田湖
十和田湖
十和田湖
十和田湖
十和田湖
十和田湖
十和田湖
昔々…大昔…🤣中学校の修学旅行で訪れた奥入瀬渓流。多分とてつもなく好天で眩しくてピカピカしていて美しかった渓流✨いつかまた…と、ウン十年。
渓流を歩いているときは雨も待ってくれました
散々歩いて車に戻る頃から土砂降り。
十和田湖畔に着いた時には帰りの山道が気になりお参りを諦めようかとも思うほど。
実際さっさと諦めて車に戻る私。
乙女の像は見てくると行った友人。
お土産屋さんの前の駐車場で待っていたら『神社すぐそこだよ❕』と、友人。
乙女の像を見て神社回ってきたら駐車場だったようで『行っといで!』と土砂降りの中に車から追い出される私。
有り難うございます😆持つべきものは…🤭ですね。
奥入瀬渓流歩いて満足して空っぽになっておりました…🤣
前日からろくにテレビもニュースも見ていなかった😅
大雨で被害が出るほどの様子を後で知り無事を感謝しました。
開運の小道にある鳥居。もうここで一度諦めました。
結構な雨なんです。
恵比寿大黒島
オマケ
奥入瀬渓流
青森県十和田市十和田湖湖畔に鎮座する、十和田神社に以前何度か参拝致しました、由緒有る神社とても雰囲気在ります水神、龍の神社だけ有って御朱印も青龍です。十和田神社の創建についての縁起は2つある。1つは十和田神社の創建は807年(大同2年)で、征夷大将軍坂上田村麻呂が東征のおり湖が荒れて渡れず、祠を建てて祈願しイカダを組んで渡ったという。もう1つは、南祖坊に関わる伝説である、かつて十和田湖は、十和田青龍権現を祀る神仏習合の霊山であり、熊野や日光に比すべき北東北最大の山岳霊場であった。それはまた、僧侶や修験者の山岳修行の場であり、民衆の信仰登山、山岳修行の山であった、
十和田神社は、明治初年の神仏分離以前は「額田嶽熊野山十灣寺」を号する神仏習合の寺院であり、十和田青龍権現を祀り、現在の拝殿の場所に観音を本地仏として安置する仏堂「十和田御堂」が建っていた。また、十和田神社の右奥の岩山を登った先の台地[5] は、南祖坊が入定し青龍権現となったと伝える中湖なかのうみと神の宿る御蔵(おぐら)半島の「御室(おむろ)、奥の院」をのぞむ神聖な場所であり、台地を降りた中湖の水際には、参詣者が占いと祈り(散供打ち)を行う占場(オサゴ場)があった。その頃は十和田湖自体が聖域であり、十和田火山外輪山の内側は本来、女人禁制の世界であった。人々はその全体を「十和田山」と名付け、カミの住む山の意味で御山(おやま)と呼んだ。歴史的建造物、仏閣、神社巡り、パワースポット、絶景、景色撮影、癒し、涼み処、マイナスイオン、癒し処、参拝、散策、青森県 十和田市 十和田湖観光、紅葉、温泉、御朱印集め等好きな方訪れて見て下さい。
秋の御朱印です。
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