真言宗智山派
最勝院のお参りの記録一覧
雨で紅葉した葉が落ちるのがすごいきれいでした。
(思わず動画撮ってしまった)
紅葉と五重塔も良き。
御朱印はいろいろありましたが、紅葉のものをいただきました。
日本最北端にあり国の重要文化財である最勝院の五重塔を見ようと参拝しました。四季の色合いで五重塔の景観が素晴らしいと他の参拝者が話してました。
最勝院の寺号標
最勝院の仁王門
仁王像
仁王像
鐘付き堂(平和の鐘)
最勝院の手水舎
最勝院の本堂
五重塔
五重塔
聖徳太子堂
六角堂(如意輪観音堂)
最勝院の寺務所
最勝院・本尊の御朱印
文殊尊の御朱印
東北36不動尊(15番)の御朱印
牛頭大王の御朱印
如意輪観音の御朱印
聖天の御朱印
青森県弘前市銅屋町に在る、最勝院、仁王門と仁王像、東北一の美塔、国指定重要文化財、五重塔の景観素晴らしい寺院ですが四季の色合いで一層美しさが増します、仁王像その御尊像は2017年秋、阿形仁王像の左眼球落下により、修復への長い道のりが始まり、阿形・吽形共に目のみならず、全身崩壊の可能性が高いことが判明し、当初の眼球修理から躯(からだ)全体の解体修理をするという、重い判断がなされた、368年という大変古い歴史を示す大発見があり、運慶の流れを汲む仏師が造ったことも明らかとなる。これを受け、単なる修理ではなく、制作当初の姿に戻す、復旧・修復修理へと舵が切られることとなった。
『素晴らしい』と絶賛される力強い背中と、甦った『厳しくも優しい眼差し』の仁王像は、2023年春に本堂内での特別公開、元の仁王門に遷座となる。 そんな最勝院に以前行きましたのでどの様な寺院か引用を用いて調べてみました、宗派は真言宗智山派の寺。山号は金剛山、本尊は大日如来、1532年(天文1)春、弘信僧都(ひろのぶそうず)が陸奥(むつ)国(青森県)平賀郡堀越に3宇の伽藍(がらん)を造営したのに始まる。1612年(慶長17)弘前藩2代藩主津軽信枚(のぶひら)が弘前城下に弘前八幡宮(はちまんぐう)を創建したおり、当院はその別当寺となった。弘前藩の真言五山の筆頭として寺領300石を与えられた。明治維新のとき八幡宮と分離し大円寺跡(現在地)へ移転したと在ります、歴史的建造物、仏閣、神社巡り、パワースポット、絶景、景色撮影、散策、青森県観光、御朱印集め等好きな方訪れて見て下さい。
【陸奥國 古刹巡り】
最勝院(さいしょういん)は、青森県弘前市銅屋町にある真言宗智山派の寺院。山号は金剛山、寺号は光明寺。本尊は金剛界大日如来。五重塔は国指定の重要文化財。
寺伝によると、創建は室町時代の1532年、弘信僧都による開山と伝わる。大浦為信(津軽為信:弘前藩初代藩主)が日頃から帰依していた高野山の高僧・宥観を召還して祈願所として篤く庇護した。弘前藩2代藩主・津軽信牧が弘前城築城の際、城の北東の鬼門に当院を移し、以後歴代の弘前藩主津軽家の祈願所として庇護された。弘前八幡宮の別当職も務め、寺領300石が安堵されるとともに、領内の寺社総取締、真言宗五ヶ寺筆頭の格式を備え、塔頭寺院12ヶ寺を擁した。明治に入り、弘前八幡宮から分離し、現在地である旧大円寺境内に移された。
当院はJR奥羽本線・弘前駅の西方1.5kmの小高い場所にある。東側、南側、西側に小さな川が流れていて、西側には小川を隔てて県立弘前高校がある。また、境内の北部は八坂神社になっている。境内はすごく広いわけではないが、かつて弘前藩の寺社の総元締めであっただけあって、境内は整っており、主要伽藍の仁王門、本堂、五重塔には風格がある。
今回は、五重塔が国重文であることから参拝することに。参拝時は休日の午後で、自分以外にも家族連れなどの参拝者を何組か見掛けた。
境内東端入口の<寺号標>。
山門に向かって参道を進む。
先に参道右側に<弘前八坂神社>の鳥居が見えてくる。
さらに進むと、<山門>と<五重塔>が目に飛び込んでくる。
<山門>には「金剛山」の扁額が掛かる。狛犬の位置には<狛兎>が構えている。
山門をくぐったところからの眺め。本堂までまっすぐ太い参道が伸びている。
あらためて参道から<五重塔>。江戸時代前期の1667年に完成した、旧大円寺の塔で、弘前藩3代藩主・津軽信義、4代信政の寄進により完成した。方三間、銅板葺、相輪含む高さは31.2m。国指定の重要文化財。
参道を進んで、左側の<鐘楼>。
本堂近くまで行き、参道左側の<水屋>。
<本堂>全景。さすがかつて弘前藩の寺社を束ねたお寺だけあって風格がある。
<本堂>正面。扁額の「最勝院」の字体が面白い。
本堂から振り返って境内全景。
本堂の左隣に建つ<護摩堂>。
<護摩堂>正面。
護摩堂と本堂との間に立つ<弘法大師像>。やはり使いは<うさぎ>。
本堂に向かって左手、少し離れたところに建つ<聖徳太子堂>ほか祠群。
聖徳太子堂の近くに建つ、通称<六角堂>。正式名称は<如意輪観世音菩薩>。
江戸時代に弘前市内の豪商・一野屋が当時の大円寺に寄進したもの。
あらためて正しい位置、正面から<五重塔>。日本最北の歴史ある五重塔とのこと。
本堂に向かって右手にある<庫裏>。御朱印はこちら。
庫裏の前から<本堂>を望む。
最後に、最も印象深い<五重塔>。9月下旬ですでにもみじが赤く色づき始めていた。
北国の秋の訪れは、やはり早い。(^▽^)/
天文元年(1532年)の堀越城下荻野への伽藍造立を開基とするが、中世において鼻輪郡西勝院がその源流と考えられている。津軽領内寺社諸宗筆頭の座位を与えられ、領内1313神社を統括する総別当をつとめ、歴代住職は京都勧修寺密乗院を兼帯し、津軽唯一の院家(いんげ)であった。津軽家の祈願所として帰依を受け、津軽藩の宗教政策の中核をになった。
最勝院五重塔は、青森県第1号国宝指定(後に重要文化財に改称)を明治41年に受けた。津軽統一の際に亡くなった人々を、敵味方の分け隔てなく供養するために大圓寺五重塔として建立された。特徴として相輪が長く、全体の均衡がとれており、国の文化財指定説明に『賽二東北地方第一ノ美塔ナリ』とあるように、姿の美しい五重塔として称賛される。
好天の弘前さくらまつりの際、五重塔を見たくて立ち寄りました。
弘前城からも近く空いていたのでゆっくりじっくり見て回ることができました。
建物に圧倒され、とても感動しました。
力強い御朱印です。
入口から惹きつけられます。
沿革。約500年の歴史があります。
本堂が奥に見えます。
その前に左手に五重塔の説明が!
素敵!!!
国指定重要文化財!!!
大きな本堂です。
迫力があります。
願いが叶うよう回します。回しすぎたかもしれません。
竜神様。
聖徳太子堂?
聖徳太子堂の説明、見えますか。
帰り際にもう一度五重塔!!!
ほんと綺麗です。
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