おくふじいずもじんじゃ
御朱印・神社お寺の検索サイト
楽しみ方奥富士出雲神社のお参りの記録(1回目)
投稿日:2026年05月21日(木) 07時04分49秒
参拝:2026年4月吉日
青森県 弘前市 百沢寺沢 境内を構える、奥富士出雲神社、青森県 弘前市 の 岩木山神社 境内(参道脇)に鎮座する神社、当方は 道の駅 全国制覇者で 全国の寺社、霊場を巡礼してます、気持ちの良い対応をして下さる、神社様でした、どの様な神社か引用を用いて調べて見ました、御祭神は 顕国魂神(大国主神)
百年記念碑では
抑奥富士出雲神社 の 創起は 祖父寿海大人命 明治6年 百沢寺 住職にてありしとき、明治天皇の維新更始の盛世に感激「神仏判然令」に遵ひ断然廃寺の願書を上申して之を廃し、而して土地は神社の境内に編入、樓門外高堂大廈悉神社の用に供すべき様願立、更に宝器什物等神器に成る可きは神社に寄付し、斯くして岩木山神社の根幹を作り上げし也、次いで数十戸の檀家をして悉く神祭の式を以て祖先以来の各霊を祭祀せしむべく数年間四方奔走して招致説諭し、ここに別社として出雲大神を主神に祀り、奥富士出雲神社の始歩を印せしもの也。これらの功績を奇特とし明治12年9月岩木山神社より多田寿海に対し慰労目録に添えて如上の意を含めし褒賞状一通贈られし也。斯くて壱百年の歳月流れ出雲神社の隆昌を今日に見るに至りしは偏に信徒の陰の力によるものにして、此処に百年祭を記念し建碑するもの也。
と在りますが何の事かと言うと、
奥富士出雲神社。昭和初期に 出雲神社大社より末社として任じられ、現在は 大国主命を御祭神としますが、神仏混淆時 岩木山神社は元々は 津軽 真言五山の一寺、岩木山 百沢寺でした。住持が神仏分離の際に同寺に祀られていた 地元民の祖霊を遷して祀り葬礼を行っていました。宮司を務める 多田家は 百沢寺の十坊の一つとして 津軽為信入部以前よりこの地に住んでおり、十坊に発給された知行宛行状などの多くの文書のほか、文政12年に 岩木山神社を参拝した直後に行方不明となった弘前の豪商搗屋の子息が描いた鍾馗の画などが残されています。と言う訳で 岩木山神社の境内社では無く独立した神社です
百年記念碑では
抑奥富士出雲神社 の 創起は 祖父寿海大人命 明治6年 百沢寺 住職にてありしとき、明治天皇の維新更始の盛世に感激「神仏判然令」に遵ひ断然廃寺の願書を上申して之を廃し、而して土地は神社の境内に編入、樓門外高堂大廈悉神社の用に供すべき様願立、更に宝器什物等神器に成る可きは神社に寄付し、斯くして岩木山神社の根幹を作り上げし也、次いで数十戸の檀家をして悉く神祭の式を以て祖先以来の各霊を祭祀せしむべく数年間四方奔走して招致説諭し、ここに別社として出雲大神を主神に祀り、奥富士出雲神社の始歩を印せしもの也。これらの功績を奇特とし明治12年9月岩木山神社より多田寿海に対し慰労目録に添えて如上の意を含めし褒賞状一通贈られし也。斯くて壱百年の歳月流れ出雲神社の隆昌を今日に見るに至りしは偏に信徒の陰の力によるものにして、此処に百年祭を記念し建碑するもの也。
と在りますが何の事かと言うと、
奥富士出雲神社。昭和初期に 出雲神社大社より末社として任じられ、現在は 大国主命を御祭神としますが、神仏混淆時 岩木山神社は元々は 津軽 真言五山の一寺、岩木山 百沢寺でした。住持が神仏分離の際に同寺に祀られていた 地元民の祖霊を遷して祀り葬礼を行っていました。宮司を務める 多田家は 百沢寺の十坊の一つとして 津軽為信入部以前よりこの地に住んでおり、十坊に発給された知行宛行状などの多くの文書のほか、文政12年に 岩木山神社を参拝した直後に行方不明となった弘前の豪商搗屋の子息が描いた鍾馗の画などが残されています。と言う訳で 岩木山神社の境内社では無く独立した神社です
すてき
投稿者のプロフィール

japan-wel…708投稿
宮城県 石巻市に在住、元々出張で日本各地を訪れる機会が在り思い出作りに道の駅スタンプラリーにも参加、気がつけば全国制覇者2022年第184号、今は休日 旅行で全国各地の食べ物、景色、温泉を探索、...もっと読む
ホトカミ見ました! で広がるご縁
ホトカミを見てお参りされた際は、もし話す機会があれば神主さんに、「ホトカミ見てお参りしました!」とお伝えください。
神主さんも、ホトカミを通じてお参りされる方がいるんだなぁと、ホトカミ無料公式登録して、情報を発信しようという気持ちになるかもしれませんし、
「ホトカミ見ました!」きっかけで豊かな会話が生まれたら、ホトカミ運営の私たちも嬉しいです。















