真宗大谷派
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名称 | 淨應寺 |
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詳細情報
宗旨・宗派 | 真宗大谷派 |
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創建時代 | 明応年間(1492-1501年) |
開山・開基 | 誉田大内記道願 |
文化財 | 枝垂桜
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ご由緒 | 戦国時代(1467-1568年)、河内国(大阪)に生まれて京都御所の守護に当った誉田大内記が、戦国の世の無常を感じ、本願寺八世蓮如上人の弟子となって、道願の法名を受けた。道願は、他力本願の慈悲法悦を体得して、諸国巡教を上人に願い出たところ、上人は非常に喜ばれ、三方阿弥陀如来像の軸を下さった。道願は、信者の河内屋嘉兵衛を供として秋田に下向し、寺内将軍野に草庵を結んで人々を教化したが、のち大館の片杭村(大館二ツ山)に来て一寺を建立した。明応年間(1492-1501年)の開基である。慶長7年(1602)、佐竹氏が秋田に遷封され、小場義成公(大館初代城代、のち三代城代義房以後佐竹姓を名乗る)が大館入城の頃は、当地方を治めていた浅利氏の残党がなかなか服従しなかった。その時、当時三代目玄正が単身で赴き、浅利方を説得し、義成公を無血入城させた。その功によって現在地を与えられ、また本山より、現在の称号を許可された。明治元年(1868)の戊辰の戦火で、本堂その他の建物が焼失したが、十三代目知足が明治20年(1887)ころ再建して今日に至った。また、境台の太子堂本尊御木像は藤原末期の作で、京都六角堂御本尊十六体中の分身である。 |
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