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部垂八幡神社について
文政(1818~1829)の大館絵図には部垂八幡神社(下の土塁<どるい>の囲い)と鏡寿院が見える。高久氏や小泉氏の屋敷も近い。
写真
| 名称 | 部垂八幡神社 |
|---|
詳細情報
| ご祭神 | 佐竹義元公 |
|---|---|
| ご由緒 | 江戸時代に秋田の地を治めた佐竹氏が常陸の国にいたとき、佐竹氏17代義篤の弟義元が、享禄二年(1529)部垂城を奪って城主となり、部垂氏を名乗った。これに恐れをいだいた佐竹宗家の義篤は義元を討った。その後、義元の家臣は許されて、佐竹氏が秋田に移ったとき大館に配置された。彼らは主人部垂義元に対する忠誠心を忘れることなく団結し、部垂衆といわれ、義元を八幡とあがめ、部垂八幡神社を建立した。 部垂町の高禄給人高久氏の「由緒伝来覚」(天保6年 1835)によると、鏡寿院(大館市立城南小学校プールの地にあった、後に廃寺)は常陸から移ってからも部垂八幡神社の祭礼にあたっていた。鏡寿院は小さな真言宗の寺で、無住になったときには高久氏ら部垂町の武士が他の修験を頼んで祭祀を行っていた。 |
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最終更新:2025年08月26日(火) 10時31分04秒
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