はちまんあきたじんじゃ
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楽しみ方八幡秋田神社のお参りの記録一覧

千秋公園内にある八幡さんです。
朝9時に来訪し、秋田旅行が無事に行くよう祈願しました。
竿灯祭りの際に、ご祈願されるらしいです。


千秋公園の緑豊かな中に佇む『八幡秋田神社』へ参拝に上がりました👏
同社は秋田藩主佐竹氏ゆかりの由緒ある神社です。久保田城の本丸跡に鎮座し、佐竹氏の氏神である八幡神社と、初代藩主佐竹義宣公を祀る秋田神社が明治期に合併して現在の形になりました。秋田の歴史と深く結びつき、市民に親しまれている場所です。
雨が上がり、しっとりとした空気に包まれた千秋公園の緑は一層鮮やかで、静寂の中で手を合わせると、雨で洗い流されたような清々しさを感じます。雨上がりの参拝は、まるで自然が神社を清め、神聖な空間を一層際立たせているかのようでした。
参拝に訪れるなら、天候の変化もまた趣深いものですね😊

久保田城 表門

表門(背面)






八幡秋田神社 久保田城城内

八幡秋田神社 久保田城城内

八幡秋田神社 久保田城城内

八幡秋田神社 久保田城城内

八幡秋田神社 久保田城城内

3月末迄、雪が降っていなくても、積雪が無くても、路面凍結が無くても一概に公園の駐車場は一律使用不可になってしまうため、あちこち車を停められそうな場所を探して彷徨いました。結局、秋田芸術劇場の駐車場に停めて最短の経路を探して城址の細い階段を上がって神社の裏に辿り着きました。折角の城址公園なのに見どころを見逃してしまったのは残念でした。

由緒書

大正四年(1915)奉納の鳥居

手水舎

手水盤

平成十七年(2005)、賽銭泥棒が放火し焼失。平成二十年(2008)再建された拝殿

扁額

拝殿側面

本殿 焼失する前は秋田県有形文化財で天保三年(1832)建立されたものでした

秋田市民の憩いの場である千秋公園内に鎮座する八幡秋田神社。
まだ紅葉には程遠い感じですが、春の桜や秋の紅葉のシーズンには見応えがありそうな感じです。
久保田城址にある神社で、公園のコインパーキングに駐車して神社を目指して歩いていくと大きくて立派な城門が目に飛び込んできました。
公園の中でも一番高いところに鎮座されてるので、そこから秋田市内が一望できました。
午前中晴れていた天気も夕方近くになるにつれて小雨が降ったり止んだりでしたが、何とかお参りの時には雨も止んだタイミングで良かったです。
御朱印はご本社の他に境内社の柳龍神社のものが頒布されてした。

久保田城の城門

城門を過ぎると神社があります。
こちらは社号標

御由緒書きではないですが、神社の由来について書かれてました。

境内入り口

扁額

社殿斜めから。

社殿向かって右手側に境内社の雄柳龍神社が。

こちらは秋田藩最後のお殿様の佐竹義尭(よしたか)公。ご祭神の一柱です。
秋田藩は戊辰戦争で官軍側についたので、地元会津とは敵対関係ではありますが、お殿様自身は財政難の秋田藩建て直しのために藩政改革を行い、自らが率先して質素倹約に努めた立派な方だったようです。
また持病の喘息のために御殿医に作らせたのが龍角散だそうな。
他にも色々面白いエピソードがあるので、気になる方はWikipediaをご覧ください(^^)

千秋公園から眺める秋田市内

城門前で御朱印と。

秋田県秋田市、秋田千秋公園内に鎮座、久保田城も近くに在り散策、散歩にも良いです、以前参拝しました八幡神社の由緒ですが以下引用を用いて調べて見ました、茨城の太田城に創建した佐竹家の氏神を久保田城内三の丸八幡山に遷座し、江戸時代は佐竹家の氏神様でした。これを明治32年本丸へ遷し、明治40年には初代藩主・佐竹義宣公、九代藩主義和公、十二代藩主義堯公を祀る秋田神社を合併、八幡秋田神社と改称し、内町(武士の町)の総鎮守となりました。本殿は天保三年(1832)建立で秋田県有形文化財でした。拝殿は明治三十二年以降の建築、両社とも豊富な彫刻が施された立派な建物でしたとあります、歴史的建造物、仏閣、神社巡り、パワースポット、散策、散歩、絶景、景色撮影、癒し処、御朱印集め等好きな方訪れて見て下さい。

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