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あんよういん|真言宗豊山派鶴林山

安養院の御由緒・歴史
愛知県 野間駅

ご本尊阿弥陀如来
ご由緒

開山 中興深長法印
開基 白河天皇
大御堂寺十四坊の一院「南の坊」として創建。
建久元年(1190)に、源頼朝が父義朝の菩提を弔うため堂宇を再建。
天正11年(1583)には、羽柴秀吉に敗れた織田信長の三男である信孝がこの寺で自害。
安養院と改称されたのは宝暦年間(1751~1764)。
明治初年に龍松院、慈雲院、円明院の三院を合併。

歴史
由緒[編集] 白河天皇勅願の大御堂寺14坊の1つ「南ノ坊」として創建された[1][2]。江戸時代に安養院と改称している[1][2]。建久元年(1190年)、源頼朝が父義朝の菩提を弔うため堂宇を再建した[1]。天正11年(1583年)、跡目争いで羽柴秀吉に敗れた織田信孝は、この寺で自害している[1]。非公開だが、自害に用いた短刀や臓腑を投げつけたとされる血染めの掛け軸などが残っている[1]。本尊は阿弥陀如来、観世音菩薩、勢至菩薩の三尊仏であり、これは源義朝とともに殺された鎌田正清の次男、政直が父の菩提を弔うため寄進した念持仏である[2]。明治時代の廃仏毀釈により龍松院、慈雲院、円明院を合併...Wikipediaで続きを読む
引用元情報安養院 (愛知県美浜町)」『ウィキペディア日本語版』。
この版のURL:https://ja.wikipedia.org/w/index.php?%E5%AE%89%E9%A4%8A%E9%99%A2%20%28%E6%84%9B%E7%9F%A5%E7%9C%8C%E7%BE%8E%E6%B5%9C%E7%94%BA%29&oldid=98509754

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