みつぞういん|真言宗豊山派|鶴林山
密蔵院のお参りの記録一覧
「知多四国」第52番札所です。
大御堂寺14坊の一つとして創建されました。
創建当時は「宝乗坊」と号していましたが、宝暦年間に密蔵院と改めています。
本尊は鎌倉時代に作られた不動明王で、盗難除けにご利益があるとされています。
1611年、徳川家康より大御堂寺一山に250石を下されましたがらそのうち25石を拝領しました。
また、平家を滅ぼした後、1190年にこの地に立ち寄り長田父子を磔にしたと伝わっています。
子供にチョコレートをくださいました🍫
ありがとうございます🙇♀️
知多四国八十八ヶ所巡りの10寺目は、9寺目と同じく知多郡美浜町の野間に在る第52番札所の鶴林山 密蔵院です。
9寺目の弥勒寺から西へ約7km。
真言宗豊山派で、本尊は不動明王。
順当に行くならば第26番札所の弥勒寺の次は南へ約4km先の第27番札所の誓海寺なのですが、予定外の神社参拝等により時間が掛かり過ぎてしまったために当初想定ルートを変更し、知多半島を横断して三河湾側から伊勢湾側の札所へ行く事にしました。
白河天皇の勅願寺である大御堂寺の一山十四坊の1つとして学頭職を勤めて「宝乗坊」と号した。(一山は1190年に源頼朝が父・源義朝の菩提のために創建された。) 1611年に大御堂寺一山は、徳川家康より250石を受け、こちらはその内の25石を拝領。宝暦年間(1751~64年)に「密蔵院」と改称し、現在に至ります。
真っ赤な山門の手前に10台位停めれる駐車場がありましたので停めさせて頂きました。
山門をくぐると直ぐ右側に手水、正面の石段の上にお堂があったのでそちらから先に。石段を上がると三十三観音を祀った観音堂、左側に行者堂です。観音堂の真ん中は如意輪観音で、後に幕があるのでお前立かもしれません。この如意輪観音はかじ取り観音と呼ばれ、航海安全祈願にいらっしゃる方が多いとか。先に「磔の松 100m」という看板がありましたので行ってみました。程なく到着、太い松の幹でした。源頼朝の父・源義朝を暗殺した長田忠致、景致父子を磔(はりつけ)にした松と伝わります。
来た道を戻り山門前に。山門左側先の正面に本堂、本堂左に弘法堂、本堂右に庫裏・納経所です。本堂の扉は閉まっていましたので、戸口から手を合わせました。堂内を覗くと本尊・不動三尊像でした。それから左側の弘法堂で手を合わせました。本堂と弘法堂の間に小窓があり、閻魔大王と書かれています。中を覗くと小部屋(十王堂)になっていて閻魔大王を中心に十王像が安置してありました。最後に庫裏・納経所で御朱印を頂きました。
御朱印
山門
手水
観音堂
真ん中の如意輪観音(お前立かも?)が別名:かじとり観音
行者堂
磔の松
本堂
本尊・不動三尊
弘法堂
十王堂
庫裏・納経所
名鉄の「歩いて巡拝 知多四国」で訪れました。
ようやく野間大坊エリアにやって来ました。
52番札所の密蔵院さんです。赤門が目を引きます。
昼夜の別なく参拝者があり、赤門は一度も閉じられたことが無かったそうな。
弘法堂
十王堂
第一回知多半島巡礼シリーズ 15
知多四国八十八霊場第52番札所の真言宗寺院。御本尊は不動明王。
白河天皇の勅願寺の「大御堂寺」十六坊の一つでした。
もう一か寺お参りしたかったのですが、名古屋へ戻る時間で今回はここで「タイムアップ」です。
田んぼのしろかきと美しい花々。春の足音が聞こえています。
赤い門が目印。山門です。
本堂です。
弘法大師堂です。
今回はこれにて・・・・
知多四国八十八ヶ所霊場第52番札所。
53番の安養院を出てそのまま歩いて向かいました。
鮮やかな赤い門が目を引きます。
全体的に新しい感じのお寺でした。
かじとり観音のお寺としても有名だそうです。
赤い門が鮮やかです。
本堂
かじとり観音
納経所でいただいた地図。これがこの後すごく役に立ちました。
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