じうんじ|臨済宗妙心寺派|白華山
慈雲寺のお参りの記録一覧
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「知多四国」第72番、「知多西国」第19番、「知多市十弘法」です。
1350年、宮山城主であった一色範光が夢窓疎石を開山として創建しました。
境内には範光の墓もあります。
南北朝時代、北朝の足利尊氏と南朝の後醍醐天皇の双方からの庇護を受けました。
1655年の火災で本堂や宝物が焼失しましたが、1660年には寺尾直龍によって本堂が再建されました。
知多四国八十八、知多西国三十三がこれで満願になりました✨
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知多四国八十八ヶ所巡りの17寺目は、16寺目の正法院と同じく知多市の岡田地区に在る第72番札所の白華山 慈雲寺です。今回の寺院巡りの最後になります。
16寺目の正法院から南西へ約2km。
臨済宗妙心寺派で、本尊は千手観音。
1350年に宮山城主の一色範光を開基、夢窓国師を開山として創建。1655年に火災により堂宇の殆どを焼失。1660年に寺尾土佐守直龍が虎渓元長和尚を中興開山として再建した。
東側に駐車場がありましたので停めさせて頂きました。(山門前の太郎坊交差点の所にも駐車場がありましたが「乗降専用」となっていました。)真っすぐ西へ進むと山門前に出ます。山門をくぐると正面に観音堂、右側に手水、左側に弘法堂(大師堂)です。境内は広いです。
最初に観音堂へ、A5サイズ位の小扉(覗き窓)を開けて手を合わせました。堂内の真ん中には閉扉された厨子、厨子の中には千手観音が祀られていると思います。こちらも秘仏の様です。秘仏が多いです。お前立ちはありません。厨子の両脇に二天像、更にその両脇の壇には二十八部衆。
それから弘法堂(大師堂)へ。こちらも観音堂と同じA5サイズ位の小扉(覗き窓)を開けて手を合わせました。弘法大師が祀られています。
弘法堂(大師堂)の左奥に白山宮、その左に開基の一色範光の墓(五輪塔)がありました。
観音堂の右側には大きな本堂か客殿。勝手に上がる訳にはいきませんので、その前に横の納経所で御朱印を頂き、上がらせて頂く了解を得ました。(本堂か客殿か尋ねて教えて頂いたのですが、今となってはうろ覚えで本堂だった様な・・・。) 禅宗系の造りの広い堂内で、釈迦如来が祀られていました。
御朱印
山門
観音堂
真ん中の閉扉の厨子の中に千手観音(だと思います)、厨子の両脇に二天像、更にその両脇の壇には二十八部衆
弘法堂(大師堂)
弘法大師
手水
白山宮
一色範光の墓
鐘楼
本堂(だった様な)
釈迦如来
知多四国八十八カ所霊場
第72番札所
田舎のお寺さんは、のんびり感があっていいです。
本堂
観音堂
弘法堂
慈雲寺の鎮守(慈雲寺の西隣) 白山宮
かつては岡田村の氏神さんでした。
慈雲寺とは関係ないようです。(慈雲寺の東隣におられます。)
地元の有志によりダキニテンさんを祀ったそうな。
かなり荒れています。ダキニテンさんに喰われちゃうぞ。
白山宮からの眺望。鳥居の上に沢山の石っころが載っていました。
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