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観福寺ではいただけません
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観福寺のお参りの記録(1回目)
投稿日:2023年05月16日(火)
参拝:2023年5月吉日
知多四国八十八ヶ所巡りの7寺目は、先の弥勒寺と同じく東海市大田町に在る第82番札所の雨尾山 観福寺です。
6寺目の弥勒寺から南へ約1.5km。
天台宗で、本尊は十一面観音。
この本尊・十一面観音立像は県指定文化財で、不動明王立像と毘沙門天立像は市指定文化財です。
十一面観音は秘仏で17年に1度の開帳。前回は2011年に開帳だったとお聞きしましたので次回は2028年、5年後です。
702年に行基の建立と伝わります。前身の本堂は残っている棟札から1450年に建立した事がわかっているだけで、その他詳細は不明です。現在の本堂は1665年に尾張藩2代藩主の徳川光友の援助により再建されたものです。
寺院石段の道路を挟んだ向かいの雨尾幼稚園の前に駐車場がありましたので停めさせて頂きました。短い石段を上がると左側に仁王門ですので、参道は直角に曲がります。仁王門には阿形、吽形の金剛力士像。仁王門をくぐり、石段を更に上がると正面に本堂です。本堂手前左側に手水、本堂左側に愛染明王や不動明王が祀られている愛染堂、その左側に三十三観音でした。(本堂の横まで車で来れるようです。ご年配の方用でしょうか。)本堂右側手前は庫裏(納経所)、本堂右側奥は客殿です。
因みに、本堂は県指定文化財、本尊厨子は重文、本尊は県指定文化財です。
本堂は内陣と外陣が格子戸で仕切られたよくあるタイプ。内陣に祀られているお像の名が書かれた名札みたいなものが上に付けてあります。右から 御祖祖様、弘法大師、六観音、脇士不動明王、本尊十一面観音、脇士毘沙門天、六地蔵、不動明王、行基菩薩、元山大師。しかしながら、覗いても暗くて殆どわかりません。わかったのは弘法大師と左右の六地蔵と本尊お前立ち程度。(御祖祖様って何でしょう? 元山大師は元三大師でしょうね。)何処も似たり寄ったりですね。手を合わせる対象物はハッキリと見たいと思うのが人情ではないかと。
最後に庫裏の納経所で御朱印を頂きました。
6寺目の弥勒寺から南へ約1.5km。
天台宗で、本尊は十一面観音。
この本尊・十一面観音立像は県指定文化財で、不動明王立像と毘沙門天立像は市指定文化財です。
十一面観音は秘仏で17年に1度の開帳。前回は2011年に開帳だったとお聞きしましたので次回は2028年、5年後です。
702年に行基の建立と伝わります。前身の本堂は残っている棟札から1450年に建立した事がわかっているだけで、その他詳細は不明です。現在の本堂は1665年に尾張藩2代藩主の徳川光友の援助により再建されたものです。
寺院石段の道路を挟んだ向かいの雨尾幼稚園の前に駐車場がありましたので停めさせて頂きました。短い石段を上がると左側に仁王門ですので、参道は直角に曲がります。仁王門には阿形、吽形の金剛力士像。仁王門をくぐり、石段を更に上がると正面に本堂です。本堂手前左側に手水、本堂左側に愛染明王や不動明王が祀られている愛染堂、その左側に三十三観音でした。(本堂の横まで車で来れるようです。ご年配の方用でしょうか。)本堂右側手前は庫裏(納経所)、本堂右側奥は客殿です。
因みに、本堂は県指定文化財、本尊厨子は重文、本尊は県指定文化財です。
本堂は内陣と外陣が格子戸で仕切られたよくあるタイプ。内陣に祀られているお像の名が書かれた名札みたいなものが上に付けてあります。右から 御祖祖様、弘法大師、六観音、脇士不動明王、本尊十一面観音、脇士毘沙門天、六地蔵、不動明王、行基菩薩、元山大師。しかしながら、覗いても暗くて殆どわかりません。わかったのは弘法大師と左右の六地蔵と本尊お前立ち程度。(御祖祖様って何でしょう? 元山大師は元三大師でしょうね。)何処も似たり寄ったりですね。手を合わせる対象物はハッキリと見たいと思うのが人情ではないかと。
最後に庫裏の納経所で御朱印を頂きました。
御朱印
左上の黒く写っているのが仁王門
仁王門
阿形
吽形
手水
本堂
右から 御祖祖様、弘法大師、六観音
右から 脇士不動明王、本尊十一面観音、脇士毘沙門天
右から 六地蔵、不動明王、行基菩薩、元山大師
愛染堂
一面三目六臂の愛染明王像
三十三観音
客殿
すてき
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nomuten970投稿
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