えんめいじ|天台宗|宝龍山
延命寺のお参りの記録一覧
線香立てと蝋燭を灯すところに昨日の名鉄ウォーキングであろう残骸が沢山
落ちていました。
蝋燭、後から来た人が前に灯した蝋燭を引き抜いて、新たにつけているの?
と言った感じ。
勿体無いので、剥がれそうな蝋燭を立てて灯りも灯してきました。
明るい時間でしたが、幻想的でしたよ。
お線香も右に同じく……
寺院内、座れる場所もいくつかあってゆっくりと過ごせるところでしたよ。
本尊の阿弥陀如来?の筈なのに、私には阿閦如来と読めてしまう昨年の祭事時の限定金墨御朱印もご縁で御分かちしていただきました。
直書き御朱印
知多四国八十八ヶ所霊場への朱印です。
できれば、来やすいところは重ね印して再訪したいですね。
山門
文化財一覧がすごい。ご開帳とかもあるのかも…
御接待の大根が干してありますね。
本堂前より振り返って📸
名鉄「歩いて巡拝 知多四国」で第4番札所に訪れました。
お接待で大根汁をいただきました。
山門前にはキッチンカーが出ていました。
本堂
境内は大賑わい。
お接待で一服。
知多四国八十八ヶ所巡りの4寺目は、第4番札所の寳龍山 延命寺です。先の第3番札所と同じく大府市に在って、第3番札所から南西へ2kmの所です。
天台宗で、本尊は(延命)地蔵菩薩。
こちらには市指定文化財の阿弥陀如来坐像が安置されています。また、多数の文化財を所蔵されています。
創建時期等不明ですが、平安時代末期~鎌倉時代初期に盛祐上人の開山とされ、七堂伽藍を有し、六坊を擁していた。大永年中(1521~28年)に火災により焼失。1531年に比叡山より慶済法印が来られて再建。1533年には後奈良天皇より寶龍山の勅額を賜った。戦国時代に入り、横根城主の梶川五右衛門、緒川城主の水野惣兵衛らの寄進を受け発展したとの事です。
山門前に駐車場がありましたので停めさせて頂きました。境内の左側(西側)にもう1つの駐車場があります。山門は立派です。市指定文化財で江戸時代後期の1840年建立、楼上に文殊菩薩が安置されている事から文殊楼門と呼ぶそうです。門の左右には阿形と吽形ですが、凄味の無い可愛らしい金剛力士。山門をくぐると正面に本堂と思いきや、実は客殿で、本堂はその左側。その手前には手水と?堂。右側には鐘楼、庫裏・納経所です。
参拝者は私1人の様ですが、多くの人が忙しそうにされています。後から知りましたが、毎月第4日曜日に「延命寺フェス」というイベントを開催されており、その準備をされていました。
こちらには弘法堂は無く、本堂の左脇に弘法大師像が祀られています。本尊は延命地蔵菩薩ですが、厨子の扉が閉まっていて恐らくその中に。厨子の前に地蔵菩薩像がありましたので本尊のお前立ちだと思います。地蔵菩薩と弘法大師に手を合わせました。それから客殿に上がらせ頂いて阿弥陀如来に手を合わせました。阿弥陀如来坐像(市指定文化財)は、高さ113cm、平安時代後期の作で、名古屋城三の丸の尊寿院権現坊に祀られていましたが、明治初期の神仏分離により延命寺に譲渡されたものです。
最後に納経所で御朱印を頂き、併せて可愛い小物も頂きました。
御朱印
山門
阿形
吽形
手水
鐘楼
本堂
本尊・地蔵菩薩は厨子の中かと
客殿
阿弥陀如来坐像(市指定文化財)
?堂
庫裏・納経所
頂きました
知多四国八十八カ所霊場 第4番札所
南北朝時代に5年がかりで製作された「紙本墨書大般若経」六百巻は、読経に1カ月を要するとされるもの。これを1日で転読する「大般若転読祈祷会」が、毎年1月15日に行われる。
江戸時代には九ヶ郷四十五村の神社の遷宮導師を務めました。
文殊楼門 三門とは「三解脱門」の略、涅槃に入るために通らねばならない「空門」「無相門」「無願門」の3つの門を指す。寺院の本堂を涅槃にたとえ、そこへ入るのに通る門ということ。ちなみに、山門は寺院の山号に由来する呼称です。
延命寺の三門は天保11年(1836)に完成。楼上に文殊菩薩が安置されていることから「文殊楼門」と呼ばれている。
(御詠歌)心して 詣れ其の名も 延命寺 地蔵の利益 疑ひもなし
知多四国八十八ケ所第4番札所
境内の蓮の花が見事でした。
とても大きな山門でした。
本堂
弘法堂
山門にて。象?
手書きの御朱印は他に誰もいなくて書いていただけそうな雰囲気の所にだけお願いしています。
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