えんめいじ
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延命寺のお参りの記録(1回目)
投稿日:2023年02月01日(水)
参拝:2023年1月吉日
知多四国八十八ヶ所巡りの4寺目は、第4番札所の寳龍山 延命寺です。先の第3番札所と同じく大府市に在って、第3番札所から南西へ2kmの所です。
天台宗で、本尊は(延命)地蔵菩薩。
こちらには市指定文化財の阿弥陀如来坐像が安置されています。また、多数の文化財を所蔵されています。
創建時期等不明ですが、平安時代末期~鎌倉時代初期に盛祐上人の開山とされ、七堂伽藍を有し、六坊を擁していた。大永年中(1521~28年)に火災により焼失。1531年に比叡山より慶済法印が来られて再建。1533年には後奈良天皇より寶龍山の勅額を賜った。戦国時代に入り、横根城主の梶川五右衛門、緒川城主の水野惣兵衛らの寄進を受け発展したとの事です。
山門前に駐車場がありましたので停めさせて頂きました。境内の左側(西側)にもう1つの駐車場があります。山門は立派です。市指定文化財で江戸時代後期の1840年建立、楼上に文殊菩薩が安置されている事から文殊楼門と呼ぶそうです。門の左右には阿形と吽形ですが、凄味の無い可愛らしい金剛力士。山門をくぐると正面に本堂と思いきや、実は客殿で、本堂はその左側。その手前には手水と?堂。右側には鐘楼、庫裏・納経所です。
参拝者は私1人の様ですが、多くの人が忙しそうにされています。後から知りましたが、毎月第4日曜日に「延命寺フェス」というイベントを開催されており、その準備をされていました。
こちらには弘法堂は無く、本堂の左脇に弘法大師像が祀られています。本尊は延命地蔵菩薩ですが、厨子の扉が閉まっていて恐らくその中に。厨子の前に地蔵菩薩像がありましたので本尊のお前立ちだと思います。地蔵菩薩と弘法大師に手を合わせました。それから客殿に上がらせ頂いて阿弥陀如来に手を合わせました。阿弥陀如来坐像(市指定文化財)は、高さ113cm、平安時代後期の作で、名古屋城三の丸の尊寿院権現坊に祀られていましたが、明治初期の神仏分離により延命寺に譲渡されたものです。
最後に納経所で御朱印を頂き、併せて可愛い小物も頂きました。
天台宗で、本尊は(延命)地蔵菩薩。
こちらには市指定文化財の阿弥陀如来坐像が安置されています。また、多数の文化財を所蔵されています。
創建時期等不明ですが、平安時代末期~鎌倉時代初期に盛祐上人の開山とされ、七堂伽藍を有し、六坊を擁していた。大永年中(1521~28年)に火災により焼失。1531年に比叡山より慶済法印が来られて再建。1533年には後奈良天皇より寶龍山の勅額を賜った。戦国時代に入り、横根城主の梶川五右衛門、緒川城主の水野惣兵衛らの寄進を受け発展したとの事です。
山門前に駐車場がありましたので停めさせて頂きました。境内の左側(西側)にもう1つの駐車場があります。山門は立派です。市指定文化財で江戸時代後期の1840年建立、楼上に文殊菩薩が安置されている事から文殊楼門と呼ぶそうです。門の左右には阿形と吽形ですが、凄味の無い可愛らしい金剛力士。山門をくぐると正面に本堂と思いきや、実は客殿で、本堂はその左側。その手前には手水と?堂。右側には鐘楼、庫裏・納経所です。
参拝者は私1人の様ですが、多くの人が忙しそうにされています。後から知りましたが、毎月第4日曜日に「延命寺フェス」というイベントを開催されており、その準備をされていました。
こちらには弘法堂は無く、本堂の左脇に弘法大師像が祀られています。本尊は延命地蔵菩薩ですが、厨子の扉が閉まっていて恐らくその中に。厨子の前に地蔵菩薩像がありましたので本尊のお前立ちだと思います。地蔵菩薩と弘法大師に手を合わせました。それから客殿に上がらせ頂いて阿弥陀如来に手を合わせました。阿弥陀如来坐像(市指定文化財)は、高さ113cm、平安時代後期の作で、名古屋城三の丸の尊寿院権現坊に祀られていましたが、明治初期の神仏分離により延命寺に譲渡されたものです。
最後に納経所で御朱印を頂き、併せて可愛い小物も頂きました。
すてき
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nomuten1059投稿
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