げんにゅうじ|曹洞宗|瑞雲山
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玄猷寺の御朱印・御朱印帳
限定 | - | ||
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御朱印帳 | |||
参拝時間 | 納経所/7:00~17:00 | ||
電話番号 | 052-603-0131 |
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知多四国八十八ヶ所巡りの5寺目は、東海市富木島町に在る第84番札所の瑞雲山 玄猷寺です。
日頃まず使わない漢字ですので読みがわかり辛いですが「げんにゅうじ」と読みます。(偉そうに書いていますが、私は最初読めなかった。)
4寺目の清水寺から南へ約1.5km。
曹洞宗で、本尊は十一面観音。
最初は草庵で、1279年に建立とされる。1339年に夢窓国師が後醍醐天皇の菩提のため、知多に順錫した際に寺として創建し勅願所とした。寺名は、夢窓国師が没後に後円融天皇から賜った「玄猷」という号に由来しているとの事です。その後、1600年に加木屋村(現在の東海市加木屋町)の普済寺の五世・在室岱存大和尚によって曹洞宗に改宗。その後、1867年に大火によって全山を焼失。明治時代になって復興されたが、老朽化により平成になり本格的に復興されて現在に至るとの事です。
カーナビの案内通りに行くとかなり狭い道に。どうも寺院の裏側の模様(以前の駐車場入口を案内か)。ぐるぐると回っていると立派な門の前の駐車場に出ました。「姫島」という交差点に案内看板があるそうですが気付きませんでした。
全面舗装の100台は停めれるとても広い駐車場に停めさせて頂きました。立派で新しい楼門。門の下には新しい四天王像。門の階上は禅宗寺院に多い造りの仏殿で釈迦牟尼仏が安置してあるそうです。楼門をくぐると正面に本堂、左側に弘法堂、右側に庫裏です。殆どの建物は新しいので綺麗なのですが、前庭もとても綺麗に手入れされていて清々しいです。
早速、弘法堂へ。堂内に入っての参拝で、間仕切り等はありませんが須弥壇は奥の方、真ん中に弘法大師像、左側に聖徳太子像、右側に薬師如来が祀られていました。聖徳太子像は明治時代初期の廃仏毀釈によって近くにあった三盛庵が廃寺になり、玄猷寺に遷されたものと考えられています。それから、勝手に本尊に上がらせて頂く訳にはいかないため(本堂は治安の関係から施錠されている場合が多い。)、先に本堂横の納経所で御朱印を頂いた際にご了解を得て本堂に入らせて頂きました。須弥壇には掛け軸が掛けられていて本尊はその後ろ。横に回って掛け軸の後ろを見ると厨子があって閉扉されていましたので秘仏の様です。創建時から禅宗系の寺院で本尊が十一面観音というのは殆どないと思いますので、あくまでも私の想像ですが、火事で全山焼失後の明治の復興の際に何処かの廃寺となった寺院から遷されたものではないかと思います。(間違っているかも。)
御朱印
楼門(2011年落慶)
四天王像
本堂(2007年落慶)
庫裏(2009年落慶)
手水
弘法堂(1934年建立、2010年修復して移築)
涅槃像(2013年開眼供養、旧本堂の跡地に落慶)
知多西国三十三観音巡り 第二十二番札所⛩ 瑞雲山 玄猷寺 (愛知県東海市)
瑞雲山 玄猷寺は草創以前は草庵で、弘安2年(1279年)に建立とされる石碑がかつての境内墓地にあったという。開山は、臨済宗天龍寺派の開祖夢窓国師(疎石、1275~1351)と伝えられる。暦応2年(1339年)に、夢窓国師が後醍醐天皇の菩提のため、知多に順錫した際に当寺を本格的な寺として建設し、勅願所としたという。ちょうどこの頃、室町幕府を開いた足利尊氏が、夢窓国師の進言で、全国に安国寺利生塔を建立して、後醍醐天皇と兵士の霊を弔ったというので、当寺はその一刹かと思われる。寺名については、夢窓国師が没後に、後円融天皇から賜った「玄猷」という国師号に由来しているといわれてます。
知多西国三十三観音巡り 第二十二番札所⛩ 瑞雲山 玄猷寺 (愛知県東海市)
瑞雲山 玄猷寺は草創以前は草庵で、弘安2年(1279年)に建立とされる石碑がかつての境内墓地にあったという。開山は、臨済宗天龍寺派の開祖夢窓国師(疎石、1275~1351)と伝えられる。暦応2年(1339年)に、夢窓国師が後醍醐天皇の菩提のため、知多に順錫した際に当寺を本格的な寺として建設し、勅願所としたという。ちょうどこの頃、室町幕府を開いた足利尊氏が、夢窓国師の進言で、全国に安国寺利生塔を建立して、後醍醐天皇と兵士の霊を弔ったというので、当寺はその一刹かと思われる。寺名については、夢窓国師が没後に、後円融天皇から賜った「玄猷」という国師号に由来しているといわれてます。
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