さくらいじんじゃ
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櫻井神社ではいただけません
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櫻井神社のお参りの記録(1回目)
投稿日:2024年08月30日(金)
参拝:2024年8月吉日
先の印内薬師(堂)が神社の境内の一画にありましたので、当然ながら神社を参拝しました。
桜井神社です。
祭神は、菊理媛神(ククリヒメノカミ)、伊弉諾神(イザナギノカミ)、伊弉册神(イザナミノカミ)、菅原道真(スガワラノミチザネ)、火産霊神(ホムスビノカミ)、火之迦具土神(ヒノカグツチノカミ)、応神天皇(オウジンテンノウ)、倭姫尊(ヤマトヒメノミコト)、天照皇大神(アマテラススメオオカミ)、八幡大神(ハチマンノオオカミ)。
古来より桜井地区の産土神社として崇敬された。本殿は1527年に桜井城主の松平親房が寄進したものであり、その後、三河一向一揆の際に徳川家康が戦勝を祈願して叶った事から徳川家の篤い崇敬を受けた。
平安・鎌倉時代には「桜井天神」、室町時代には「神明社」や「白山社」、江戸時代には幕府の指示により「桜井権現」と呼ばれた。「桜井神社」という呼称は明治時代になってから使用され、大正3年(1914年)に桜井七ヶ村にあった全ての神社が神社合祀令によってこちらに合祀され、現在の桜井神社になったとの事です。
鳥居をくぐり進むと石段の上に拝殿。拝殿の手前両側に狛犬がありますが、拝殿の直ぐ右側に臥牛もあります。天満宮もあるという事ですね。祭神に対応する社があるばずですが、玉垣が高くて見えませんでした。
拝殿の石段を下りて、左側には社務所があって、更にその左側には桜井弁財天社と稲荷社(稲荷社・山神社)がありました。(桜井弁財天社と稲荷社の間に印内薬師があります。)
社務所は無人でしたので御朱印は頂いておりません。
帰宅後ネットを調べると安城市観光協会のページに、御朱印受付時間は「第1土曜日・第3日曜日 9:00~15:00 2・7・12・17・22・27日 9:00~11:00」と記載がありました。
桜井神社です。
祭神は、菊理媛神(ククリヒメノカミ)、伊弉諾神(イザナギノカミ)、伊弉册神(イザナミノカミ)、菅原道真(スガワラノミチザネ)、火産霊神(ホムスビノカミ)、火之迦具土神(ヒノカグツチノカミ)、応神天皇(オウジンテンノウ)、倭姫尊(ヤマトヒメノミコト)、天照皇大神(アマテラススメオオカミ)、八幡大神(ハチマンノオオカミ)。
古来より桜井地区の産土神社として崇敬された。本殿は1527年に桜井城主の松平親房が寄進したものであり、その後、三河一向一揆の際に徳川家康が戦勝を祈願して叶った事から徳川家の篤い崇敬を受けた。
平安・鎌倉時代には「桜井天神」、室町時代には「神明社」や「白山社」、江戸時代には幕府の指示により「桜井権現」と呼ばれた。「桜井神社」という呼称は明治時代になってから使用され、大正3年(1914年)に桜井七ヶ村にあった全ての神社が神社合祀令によってこちらに合祀され、現在の桜井神社になったとの事です。
鳥居をくぐり進むと石段の上に拝殿。拝殿の手前両側に狛犬がありますが、拝殿の直ぐ右側に臥牛もあります。天満宮もあるという事ですね。祭神に対応する社があるばずですが、玉垣が高くて見えませんでした。
拝殿の石段を下りて、左側には社務所があって、更にその左側には桜井弁財天社と稲荷社(稲荷社・山神社)がありました。(桜井弁財天社と稲荷社の間に印内薬師があります。)
社務所は無人でしたので御朱印は頂いておりません。
帰宅後ネットを調べると安城市観光協会のページに、御朱印受付時間は「第1土曜日・第3日曜日 9:00~15:00 2・7・12・17・22・27日 9:00~11:00」と記載がありました。
すてき
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nomuten973投稿
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