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首切り地蔵・秋葉神社・琴平神社・天照皇大神宮について
今より230年前宝永年間に塔野地村と今井村が境界争いがあり、
鍋山の裁判といい、ついに塔野地村が敗訴した。
しかし、里正重右衛門は反争したが正月元旦に処刑(首切り)されてしまう。
その後、宝永6年丑10月16日地蔵尊を刻んで永く哀悼した。
此の地では、正月に門松を立てない習慣になっているのは、この伝承にある。
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年末年始用にこ綺麗にされていました。
ここでは、幟はかけられない様ですね。

松ぼっくり付きの松が立てられています。
あまり見ないね。

中央は秋葉神社の灯明
右側は琴平神社
左側は天照皇大神宮と

中央は馬頭さん?

西国三十三所や、南無阿弥陀仏

同じ様な画です。

消えちゃっていたので、作って再投稿です。
塔野地 北 公民館にあります。
秋葉、琴平、天照皇と常夜燈標柱に記されています。
後半は散逸してしまった地蔵等でしょうか?
集まれば三十三体ありそうですが、ここらあたりは古い歴史があるようで
もしかすると、各々で祀っていらっしゃるのかもしれないですね。
横線が入っている地蔵は首切り地蔵です。

元々はちゃんとした献燈だったのかと思います。
上部だけがなんらかの形で紛失され、プラスチック等で形を整えてありますね。

秋葉神社

琴平神社

天照皇大神宮
てんしょうこうだいじんぐうと読みます。
伊勢神宮の内宮と同じですね。




西国三十三箇所の碑



南無阿弥陀仏

宝永年間、塔野地村と今井村の境界争いの際、鍋山の裁判にて塔野地村が敗訴。当村在住の里正重右衛門は反争したとして元旦に斬られた。
その後、宝永6年丑10月16日に地蔵尊を刻み里正の哀を忘れなかった。
その為、塔野地では正月門松を立てない習慣になったとされる。




憤怒の像ということはお不動さん?

観音◯◯

北西から見て
えんじ色の建物は消防倉庫だったと思われる。
境内・文化財
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