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尾張冨士大宮浅間神社ではいただけません
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おわりふじおおみやせんげんじんじゃ

尾張冨士大宮浅間神社のお参りの記録(1回目)
愛知県羽黒駅

投稿日:2024年05月05日(日)
参拝:2024年5月吉日
尾張冨士大宮浅間神社へ参拝に上りました⛩️

御祭神
木花開耶姫命(コノハナサクヤヒメノミコト)
天照大御神(アマテラスオオミカミ)

御由緒
大宮浅間神社の創建は、天平元年(七二九年)二月に邇波県主の裔、道直の観請によって建立された。
 初め山頂に鎮座したが、祭祀・参詣に不便であり山麓に遷された。当時神社内に、大日霊社を別に祀ってあったが、天正年中(一五七三年~一五九一年)に合祀された。
 古くから、武将や名門の信仰が厚く、織田信長は社殿を造営寄進し、また、犬山城主の小笠原和泉守吉次からは、山林や田畑の寄進を受けた。さらに、徳川・成瀬の両家からも種々の神宝の奉納があり、毎年、国家安泰の祈願がなされた。
 神社の御山は、駿河国の冨士山と型がよく似ているので「尾張冨士」と称し、本宮・中宮・奥宮に同神を祀り、一般の参拝に便利よくした。
 また境内には、十八社の末社(神明社・熊野社・伊豆社・白山社・日吉社・鹿島社・三島社・箱根社・冨士浅間神壐社・釜岩社・日之御子社・中宮社・三輪社・八幡社・戸隠社・宗形社・大社・猿田彦社)が祀られている。

天下の奇祭 石上げ祭
石上げ祭は、「山の背くらべ」伝説にあるように、
昔ある信者が尾張冨士に登り願い事を石に記して祈願したときの事です。
その夢枕に御祭神「木花開耶姫命」が現れ、
尾張冨士が隣の本宮山より低いことを大いに嘆かれました。
そこで信者は、木曽川の清浄な石を拾い上げ、
山頂に積み上げましたところ不思議にも願いが叶ったとのこと…。
そのことが村から村へと伝わり、相次いで大石を奉納して
富貴長命、子孫繁栄、五穀豊穣を祈願したのが石上げ祭の始まりであります。
石上げの祭りの起源は「古くから…」と伝えられておりますが、
約160年程前の江戸時代、天保7年(1836)「天保の大飢饉」の翌年の年から盛大になり、最盛期は大正から昭和の時代前半にかけてであります。
またこの石上げ祭は、古来陰暦の6月1日に行われていましたが、
現在は毎年8月の第1日曜日に行われています。
尾張冨士大宮浅間神社(愛知県)
書置きの御朱印をお受けしました。
尾張冨士大宮浅間神社(愛知県)
書置きの御朱印をお受けしました。
木花開耶姫命と尾張冨士の御朱印の2対での頒布となっています。
尾張冨士大宮浅間神社(愛知県)
尾張冨士大宮浅間神社(愛知県)
尾張冨士大宮浅間神社(愛知県)
本宮拝殿と御神木のえんむすびの松です。
男性は右回りで2周、女性は左回りで2周回ると良縁の御神徳があるとのことです。
尾張冨士大宮浅間神社(愛知県)
尾張冨士大宮浅間神社(愛知県)
献石(イシアゲ)
それぞれの願いの色玉石に願いを書いて
尾張冨士大宮浅間神社(愛知県)
この山道を登ります。
かなりの急斜面の岩山です(笑)
ある意味、修行です。
尾張冨士大宮浅間神社(愛知県)
中宮です。
尾張冨士大宮浅間神社(愛知県)
頂上にある奥宮です。
尾張冨士大宮浅間神社(愛知県)
尾張冨士大宮浅間神社(愛知県)
こちらに私の願い事を書いた献石を供えてきました。
赤い丸で囲んである献石です。

すてき

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