しょうげんじ
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證玄寺ではいただけません
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證玄寺のお参りの記録(1回目)
投稿日:2023年04月04日(火)
参拝:2023年4月吉日
山門をくぐると緑におおわれたお庭が。しかし、境内が狭いため本堂の全体像が把握できず。
伊藤さだ吉慰霊之碑
この石碑の裏面には
「沈没し哀しむべし 水郷の村 五明輪中にあって五代住職の身代わりとなり人柱となって村人をすくいし さだ吉様の霊ここにしずまん 五明山證玄寺 伊藤家 造塔す」とある。
この石碑の裏面には
「沈没し哀しむべし 水郷の村 五明輪中にあって五代住職の身代わりとなり人柱となって村人をすくいし さだ吉様の霊ここにしずまん 五明山證玄寺 伊藤家 造塔す」とある。
こちらの石柱は
「宝暦治水美濃義士
内藤十左衛門自刃之地」とあります。
有能な治水土木の技術者であった十左衛門ですが、宝暦4年(1754)4月22日宿舎としていた五明村彦八宅で自ら命を絶ちました。
絶命間際に、「庄屋の不手際がもとで工事に不備が生じた。ひいては主人(西高木家)が問責されることのないよう、私が責任をとる。」と言い残したと伝わっています。
宝暦治水工事における幕府側唯一の自害者として、弥富市の證玄寺や治水神社境内にその遺徳を偲ぶ碑が建てられています。
「宝暦治水美濃義士
内藤十左衛門自刃之地」とあります。
有能な治水土木の技術者であった十左衛門ですが、宝暦4年(1754)4月22日宿舎としていた五明村彦八宅で自ら命を絶ちました。
絶命間際に、「庄屋の不手際がもとで工事に不備が生じた。ひいては主人(西高木家)が問責されることのないよう、私が責任をとる。」と言い残したと伝わっています。
宝暦治水工事における幕府側唯一の自害者として、弥富市の證玄寺や治水神社境内にその遺徳を偲ぶ碑が建てられています。
緑多き寺院でした。
すてき
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