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おおみわじんしゃ

大神神社(花池)の御由緒・歴史
愛知県 妙興寺駅

ご祭神《主》大物主神
創建時代不詳
ご由緒

創建は明らかでない。
「尾張志」に大神ノ社、宮地花池村に坐して今は三明神と申すこの神社の地なるがゆえに宮地といへるなるへし古き郷名は和名抄に中島郡美和と見えたり、これ式内の神にて本国帳に従一位大神名神と記せり。神名式に名神大とあるは誤なるへし名神祭式に此神社なきをもって証とすへし。
天火明命十世孫大美和都禰命を祀れるか是尾張氏同祖の神なり。
当村を熱田庄と称し里民、サギを白鳥と呼んで食する事なし。昔は7月7日、此の村より素麺と蓮華を熱田の宮へ献る旧例ありとそ尾張氏同祖神にましますゆゑかく熱田にゆゑよしあるなり其の蓮華の池を村名に呼んで花池といへり、とある。
明治4年5月、郷社に列格。
明治40年10月26日、神饌幣帛供進指定社となる。
昭和27年、素盞嗚社を合併し飛地境内神社とする。
11等級、郷社。
(『愛知縣神社名鑑』より)

弥生時代から古墳時代にかけて、邪馬台国から大和の国のころ、ここ花池にも大和系(三輪族)の人々が移り住み大物主神を祀る大神神社を建て、祖先を祀り日々の安泰を祈り、団結のシンボルとして神社を中心にして部族を発展させた。
奈良時代に国司が赴任して、尾張国中の神社の代表として国府宮の尾張大国霊神社を総社に指定、次いで花池の大神神社と真清田神社をまとめて相伝・対の宮と言うことで尾張国一之宮に指定した。
延長5年(927)延喜式神明帳に記載が有り、勅祭神社であったことが判る。
昔の花池村は、三輪氏一族地方だったのか?三輪郡・大神郷・熱田の庄蓮池と言われ、各所に白蓮が咲いていたとかで蓮池そして華池・花池となり今日に及ぶと伝えられている。
(『大神神社しおり』より)

歴史
歴史[編集] 社殿左に本殿、右に幣殿・拝殿。 概史[編集] 創建は不詳。上記のように、大物主神を奉斎する大和の大神氏(三輪氏)一族が来住し祭祀を担ったと見る説と、大美和都禰命を奉斎する尾張氏関係氏族が祭祀を担ったと見る説がある[1]。 延長5年(927年)成立の『延喜式』神名帳では尾張国中島郡に「大神神社 名神大」と記載され、名神大社に列している[1]。社名は、写本によっては「大神々社」「太神社」とも表記される。『妙興寺文書』「中島長利寄進状」(観応元年(1350年))では、大神の地はと塚[2](現在の一宮市大和町戸塚)の北東部になるとあり、この記載が名神大社比定の傍証になる[1]。一方...Wikipediaで続きを読む
引用元情報大神神社 (一宮市)」『ウィキペディア日本語版』。
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