ちょうりゅうじ
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楽しみ方長隆寺のお参りの記録(1回目)
投稿日:2024年11月04日(月) 07時38分17秒
参拝:2024年11月吉日
現在は日につれて荒廃する寺院です。
ただ、建物状況は今のところまだよく市指定文化財とされてもおかしくない本堂があります。
夏期前後には藪蚊に注意・スズメバチに要注意です。
山号は無量山
宗派は真言宗豊山派
開基は中島宣長
開創は鎌倉期
本尊は阿弥陀如来(阿弥陀三尊)(県指定文化財・鎌倉時代)
五大尊画像(県指定文化財・南北朝時代)
愛染明王画像(一宮市指定文化財・室町時代)
本堂は一宮市指定文化財 1758年建立(宝暦8年)
山門は一宮市指定文化財 1688年建立(貞享5年or元禄元年)
ただ、建物状況は今のところまだよく市指定文化財とされてもおかしくない本堂があります。
夏期前後には藪蚊に注意・スズメバチに要注意です。
山号は無量山
宗派は真言宗豊山派
開基は中島宣長
開創は鎌倉期
本尊は阿弥陀如来(阿弥陀三尊)(県指定文化財・鎌倉時代)
五大尊画像(県指定文化財・南北朝時代)
愛染明王画像(一宮市指定文化財・室町時代)
本堂は一宮市指定文化財 1758年建立(宝暦8年)
山門は一宮市指定文化財 1688年建立(貞享5年or元禄元年)

足元はぬかるみ続く、隣接する中島宮と一緒の敷地内にあり
一見すると日影多そうと思うでしょう?ところが、、、、、、
一見すると日影多そうと思うでしょう?ところが、、、、、、

文化財一覧・昭和の御代に指定されてる

標柱
◯◯霊場かは緑深くて触れずにつき不明
◯◯霊場かは緑深くて触れずにつき不明

山門は江戸時代前半頃のものか

山門の鬼瓦、結構立派です。
と言うより『懸魚(げぎょ)』に目がいきますね。
懸魚は主に神社仏閣の屋根に取り付けられた妻飾りで、
水に強い魚の飾りを屋根に施し、ほどこして木造建築を火災から
守るために火除けの呪いとして取り付けられています。
魚の身代わりを屋根に懸ける事が水をかける事の意として用いられた。
と言うより『懸魚(げぎょ)』に目がいきますね。
懸魚は主に神社仏閣の屋根に取り付けられた妻飾りで、
水に強い魚の飾りを屋根に施し、ほどこして木造建築を火災から
守るために火除けの呪いとして取り付けられています。
魚の身代わりを屋根に懸ける事が水をかける事の意として用いられた。

宝篋印塔、高いなぁ、、、。

文化財案内板
本堂・山門について
本堂・山門について

本堂

中嶋藏人光敏親王供養塔

弘法堂、ガラス戸があるので近年再建かもしれない。
スズメバチ巣があるかもと思い近寄れず
離れて撮影。
昼間12時くらいなのに、雨中とはいえこの暗さは致命的。
是非伐採手入れして欲しい。
スズメバチ巣があるかもと思い近寄れず
離れて撮影。
昼間12時くらいなのに、雨中とはいえこの暗さは致命的。
是非伐採手入れして欲しい。

鳳凰や龍の彫り物あり
結構立派、手入れすれば参拝者来るのでは
学術的に見ても価値あるように思える。
結構立派、手入れすれば参拝者来るのでは
学術的に見ても価値あるように思える。

尾張高野山櫻池の標柱あり
池があったのかな?
今は落ち葉まみれ、腐葉土のようになっている事と激蚊なので近寄らず
池があったのかな?
今は落ち葉まみれ、腐葉土のようになっている事と激蚊なので近寄らず

宝珠を持った仏様です。
ここにはお供えあり
ここにはお供えあり

隣接神社の由来もこちらに載せておく

長隆寺はこちらの寺院
延命寺は、当地より西に歩いて数分のところ
ただ現在あるかどうかは分からない。
延命寺は、当地より西に歩いて数分のところ
ただ現在あるかどうかは分からない。

不明社、弁天社?

手水盤の奥が池になってる。
かつての、かもね。
かつての、かもね。

手植銀杏

招魂社と秋葉神社

傾いている不動明王
すてき
みんなのコメント(1件)
iwc9999ご投稿に感謝申し上げます。
度々美濃路を利用する事がありまして、特に「新濃尾大橋」開通後は利便性向上し、利用頻度も上がりました。
始めは「中嶋宮」の鳥居が気になり、たまたま時間がある際に立ち寄り、長隆寺様を知りました。
ご投稿のお写真の「無量山 長隆寺」の石柱は、昭和45年6月に建立されており、国府宮神社の宮司氏の筆に依るようです。
尾張高野山櫻池の石碑は、昭和4年12月の寄進のようです。
無住寺院となり随分経つようですが、中嶋宮裏の墓地をお訪ねしましたが、きちんと整地してあり、古い墓石も丁寧に立ててありました。
その中の西北端の高さ1メートル程の綺麗な墓石が「長隆寺第26世 真善和尚」様のお墓でした。
昭和20年3月24日遷化 行年71歳 と刻印が有りました。
どのような方であったのか・・・とても気になります。
以前は山門前にブランコや滑り台が有ったようですが、現在は撤去されており、無住とは云え、人の目は届いているものと思います。
国府宮の宮司氏の筆に依る名称石柱も不思議で、何れの寺院の「お守り・お世話」も受けておられないのか?と気になります。
様々な事が気になる寺院です。
博物館へ行き、一度ご本尊様を拝ませていただこうと考えております。
2025年09月24日(水) 18時14分03秒
投稿者のプロフィール

シンくん3633投稿
大叔父が地域では有名な大先達をしていた影響かは分かりませんが、寺社仏閣を巡り歩く転機があってから御朱印の有無に関わらず『とりあえず、行ってみよう』と言う思いから継続するように心がけています。 最...もっと読む
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