高野山真言宗
龍福寺(普照庵 龍福寺)のお参りの記録一覧
金龍寺から徒歩15分程、「名古屋二十一大師」第20番です。
少し坂の上にあります。
門をくぐると、平屋の庫裡があり、左横に本堂があります。
お経を読まれている最中でした。
印は本堂横に置かれており、セルフで押しました。
普照庵 龍福寺は名古屋廿一大師霊場の第20番札所
ご開帳は節分前の毎年1月29日か。
宗派は、高野山真言宗
開山は普照尼
ご本尊は、名古屋市のHPによればかつては地蔵寺と称された。
山伏が寺の柳の大木から弘法像三体をつくり、尾張3箇所に安置したひとつで、
尾張三弘法の元祖といわれています。
御詠歌は
はるばると たずねきたりて ははでらの あつきなさけに あうぞうれしき
歯痛やむしばえにご利益があるとされる。
本寺は、元禄初年(1688年頃)八事山興正寺の開山である
天瑞和尚の母である普照尼(普照庵性誉則芳尼)が創建。
当時は、興正寺が女人禁制であった。
龍福寺を高野山母寺とし、女性もお参りが、出来るようにと
満邁上人作の地蔵尊を本尊として普照庵地蔵堂を建立。
大正初年(1912年頃)弘法大師gs開いたとされる高野山龍福寺と併せ
現在の名称となる。
毎年1月29日はご開帳日
毎月24日の14時頃からは地蔵縁日との事でご法要あるとの事です。
丁度帰宅されたご住職に書いていただきました
此方は、セルフタイプの押印で名古屋廿一大師の奉納経です。
(名古屋二十一大師20番札所)
さらに南にくだります。
境内は本当にコンパクト。数歩歩けば境内終わってしまうほどです。
その昔、八事にある「八事山興正寺」は女人禁制の寺院だったようで、興正寺開山の「天瑞和尚」の御生母「普照庵性誉即芳尼」は、尾張高野母寺として、尼寺「普照庵」を元禄元年に開山しています。
本尊である「地蔵菩薩」は尾張徳川藩七代目藩主「徳川宗春」の御生母「宣揚院」の念持仏を宗春公から寄進された物で、平安時代の作だそうです、この本尊にちなみ、「普照庵地蔵堂」と呼ばれていたようです。
大正初期に弘法大師開基の「高野山龍福寺」と合併し、寺名も「普照庵龍福寺」と改称しています。
その昔は、尾張三弘法のもっとも古い札所として香煙が絶えないとてもにぎわっていた寺院とも言われています。
往時の賑わいは想像できないほどの静けさですが、これはこれでいいお参りでした。
御朱印 名古屋二十一大師20番
山門
地蔵尊像
石仏
本堂
修行大師像
名古屋二十一大師 20番札所に訪れました。
お寺の名前に「龍」の文字が入っているので、どんな力強いお寺さんかな?と思いつつ参詣したら、何となくほんわかした感じのお寺さんでした。
車で上れます。
山門
水盤に水かけ地蔵
石仏さん達
本堂
本殿内
修行大師
セルフ朱印です。縁側に置いてある箱の中です。
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