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楽しみ方天寧寺のお参りの記録(1回目)
投稿日:2026年06月20日(土) 20時44分28秒
2017年4月14日に初めてお参りしました。
天寧寺さんは曹洞宗のお寺で玉琳山と号しています。
名古屋大須の商店街の大須通を挟んで南側に建っています。
名古屋市史社寺編(大正4年版)に拠りますと、
中區門前町7丁目東側(現在の中区門前町3丁目21)にあります。
元は蒼穹隆公の開基で圓徳院と号し清須外町にありました。
慶長遷府(1610年)の際、寺地を拝領し今の地に移りました。
元文2年(1737年)、藩主宗春の息子龍千代が卒し圓徳院の法号を受けたため、天寧寺の寺号に改めたそうです。
明治14年(1881年)に暴風のため堂宇が破損しましたが修繕し、後に3世佛海宗超が全伽藍を改築しました。
これからは天寧寺のホームページからですが、
昭和20年(1945年)の名古屋大空襲によって全焼しましたが、本尊釈迦牟尼如来坐像と鎮守三宝大荒神神像は無事に避難しました。また、後に堂宇は再建されました。
天寧寺さんは曹洞宗のお寺で玉琳山と号しています。
名古屋大須の商店街の大須通を挟んで南側に建っています。
名古屋市史社寺編(大正4年版)に拠りますと、
中區門前町7丁目東側(現在の中区門前町3丁目21)にあります。
元は蒼穹隆公の開基で圓徳院と号し清須外町にありました。
慶長遷府(1610年)の際、寺地を拝領し今の地に移りました。
元文2年(1737年)、藩主宗春の息子龍千代が卒し圓徳院の法号を受けたため、天寧寺の寺号に改めたそうです。
明治14年(1881年)に暴風のため堂宇が破損しましたが修繕し、後に3世佛海宗超が全伽藍を改築しました。
これからは天寧寺のホームページからですが、
昭和20年(1945年)の名古屋大空襲によって全焼しましたが、本尊釈迦牟尼如来坐像と鎮守三宝大荒神神像は無事に避難しました。また、後に堂宇は再建されました。

2018年3月7日にお参りして頂きました。

2017年4月14日撮影
天寧寺の入口です。
天寧寺の入口です。

2018年3月7日撮影
天寧寺の入口の門柱に掛けられている表札?です。
天寧寺の入口の門柱に掛けられている表札?です。

2018年3月7日撮影
天寧寺の本堂です。入母屋造り平入り瓦葺き向拝付きの建物です。
天寧寺の本堂です。入母屋造り平入り瓦葺き向拝付きの建物です。

2018年3月7日撮影
本堂正面に掛かっている山号額です。
本堂正面に掛かっている山号額です。

2017年4月14日撮影
天寧寺さんの西隣りにある三宝大荒神の入口です。
三宝大荒神は仏・法・僧の三宝を守護し不浄を厭離する佛神です。三宝に逆らう者を戒めるために三面で不動明王のように怒った顔をしています。激しい性格のため荒神と呼ばれ、不浄、災難を除去する神とされることから、火・竈・台所や土地・屋敷を守護する神として、また子供の守り神として祀られてきました。
天寧寺さんの西隣りにある三宝大荒神の入口です。
三宝大荒神は仏・法・僧の三宝を守護し不浄を厭離する佛神です。三宝に逆らう者を戒めるために三面で不動明王のように怒った顔をしています。激しい性格のため荒神と呼ばれ、不浄、災難を除去する神とされることから、火・竈・台所や土地・屋敷を守護する神として、また子供の守り神として祀られてきました。

2018年3月7日撮影
荒神堂です。入母屋造り妻入り瓦葺き唐破風様向拝付きの建物です。
鶏は三宝大荒神のお使いとされており、鶏は夜に泣かないことから子供の夜泣き封じにご利益があると言われています。
今も土製の守鶏、守鶏絵馬を授与しているそうです。
荒神堂です。入母屋造り妻入り瓦葺き唐破風様向拝付きの建物です。
鶏は三宝大荒神のお使いとされており、鶏は夜に泣かないことから子供の夜泣き封じにご利益があると言われています。
今も土製の守鶏、守鶏絵馬を授与しているそうです。
すてき
投稿者のプロフィール
しんめいしゃ53投稿
若い頃から歴史が好きでした。仕事場が奈良県で歴史の真っただ中にいました。定年に近くなった頃、長年思っていた事ーー寺社巡り&遺跡巡りを始めました。定年後は名古屋に居を移し、名古屋市内を皮切りに尾張...もっと読む
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