こうけんじ
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楽しみ方高顕寺のお参りの記録(1回目)
投稿日:2026年04月14日(火) 20時58分54秒
2017年4月14日が初めての参拝です。
大須通と山王通の中間点で伏見通沿いに高顕寺はあります。裏に日置神社があって敷地が食い込んでいる格好になっています。
名古屋市史社寺編に拠りますと、
始めは孝國順天の開基で清須の地に建立されました。当時は護國山東輪寺と号していました。
清須越しの時に今の地に移転しましたが、やがてお寺が大きく壊れました。これを孚山誠公という禅僧が再建しました。この孚山は後に黄檗宗に移ったのでこのお寺も一時黄檗宗となったそうです。
天和2年(1682年)に大休元燁が本堂を立て直し天和3年(1683年)に落成しましたが、大休が大高長寿寺に転任したためこのお寺は無住となってしまいました。元禄2年(1689年)に名古屋藩主徳川光友の命令により、このお寺は萬松寺の末寺となり、萬松寺の寂元光照がこの寺を修理し以後萬松寺がこの寺の修繕管理を行いました。元禄5年(1692年)に新しく東輪寺を日置村(現在の松原3丁目?)に建立したため、元禄6年(1693年)に今の高顕寺に名前を変えたとのことです。
大須通と山王通の中間点で伏見通沿いに高顕寺はあります。裏に日置神社があって敷地が食い込んでいる格好になっています。
名古屋市史社寺編に拠りますと、
始めは孝國順天の開基で清須の地に建立されました。当時は護國山東輪寺と号していました。
清須越しの時に今の地に移転しましたが、やがてお寺が大きく壊れました。これを孚山誠公という禅僧が再建しました。この孚山は後に黄檗宗に移ったのでこのお寺も一時黄檗宗となったそうです。
天和2年(1682年)に大休元燁が本堂を立て直し天和3年(1683年)に落成しましたが、大休が大高長寿寺に転任したためこのお寺は無住となってしまいました。元禄2年(1689年)に名古屋藩主徳川光友の命令により、このお寺は萬松寺の末寺となり、萬松寺の寂元光照がこの寺を修理し以後萬松寺がこの寺の修繕管理を行いました。元禄5年(1692年)に新しく東輪寺を日置村(現在の松原3丁目?)に建立したため、元禄6年(1693年)に今の高顕寺に名前を変えたとのことです。

2017年4月14日撮影
高顕寺の入口、山門です。
高顕寺の入口、山門です。

2019年6月4日撮影
高顕寺の山門です。
高顕寺の山門です。

2019年6月4日撮影
摩利支天鎮守堂です。
摩利支天鎮守堂です。

2017年4月14日撮影
摩利支天鎮守堂の入口です。
摩利支天鎮守堂の入口です。

2017年4月14日撮影
本堂です。
本堂です。

2019年6月4日撮影
2年後の本堂です。
2年後の本堂です。

2019年6月4日撮影
本堂前のお庭です。
本堂前のお庭です。
すてき
投稿者のプロフィール

しんめいしゃ33投稿
若い頃から歴史が好きでした。仕事場が奈良県で歴史の真っただ中にいました。定年に近くなった頃、長年思っていた事ーー寺社巡り&遺跡巡りを始めました。定年後は名古屋に居を移し、名古屋市内を皮切りに尾張...もっと読む
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