大道米運龍神のお参りの記録一覧
なかなか変わった名前の龍神さんである。「大道米運」とは?最初は隣に建っている木材会館の企業社かなっと思った。
米を運ぶとは?神社の前の道が「岩井米浜線」という名前の道。これと関係があるのか?戦前、近くに名古屋米穀取引所があったとか。それと関係があるのか?それとも、大道とは堀川のことをいっているのか?自分でも何言っているのか分からない。
(追記)
今は無くなってしまった「名古屋米穀取引所」の絵葉書を見ると、建物の横に鳥居らしき物が映っている。これが「大道米運龍神」の鳥居なのか?私の力ではこれが精一杯です。
藤棚がある。春になると桜も咲くみたい。
大道米運龍神に関して、ご説明します。
元々この龍神様は、この辺りに屋敷を構えていた大道寺新四郎という尾張藩の武士の屋敷内にあった龍神様です。大道寺家は尾張藩の家老を務める名家で、武術をまとめる役をしておりました。その大道寺家の名前は、宮本武蔵を尾張藩に呼んできて面倒を見ることからも、このあたりで宮本武蔵が一時期いたと推測されます。しかし、幕末尾張藩で起きた松葉事件によって、お家断絶。のちに明治時代になってから、冤罪が認められましたが、すでにお家は亡くなっておりました。その時この龍神様も相当荒れてしまっていたそうですが、明治42年にここの地へ来た竹内家がこの龍神様を再度お社とを作り祭りだしたことから今に続きます。東側にある病院の患者さんの枕元に龍神が現れて、その後急に回復した!などの奇跡を起こす龍神様です。その方々のためにも、竹内家が今もお社とを守っております。
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