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臨済宗妙心寺派

金剛寺のお参りの記録一覧
愛知県 矢場町駅

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しんめいしゃ
しんめいしゃ
2026年04月30日(木)34投稿

2017年4月27日に初めてお参りしました。
私がお詣りした時はいつも鉄の扉は開いていましたので、お寺として活動していたのでしょう。
ホトカミに投稿するに当たって再度お参りに行きましたが、鉄の扉は閉まっていました。
名古屋市史社寺編に拠りますと、
元々は室町時代の建立で中島郡宮後村(現在の一宮市今伊勢町宮後かな?)にあったそうです。
山堂という僧が住するようになって中島郡日下部村(現在の稲沢市日下部町かな?)に移転したそうです。
その後、織田信長が堂宇を再興したり息子の信雄が朱印十石を寺領として寄進したようです。
徳川家康が幕府を開き政治の中心を江戸に遷した慶長遷府の頃、このお寺も名古屋の地(大正4年時点で西区西万町3丁目)に移りました。
元禄13年(1700年)の大火で焼失しましたが、高木勘平治と僧の天厳が再興しました。
その後また光源士明という僧がお寺を中興したそうです。
大正4年の西区西万町3丁目は現在の中区丸の内1丁目で、金剛寺は今、中区栄4丁目にあります。
名古屋住宅地図で調べたところ、昭和32年までは中区西万町3丁目(西区西万町3丁目は戦後すぐに中区に変わっていました)に記載があります。
昭和35年に中区南武平町2丁目に記載があり、南武平町2丁目は現在栄4丁目に編入されています。つまり、昭和32年から35年の間に金剛寺は丸の内1丁目から栄4丁目に移ったようです。

金剛寺(愛知県)

2017年4月27日撮影
金剛寺の入口です。石柱門に鉄扉が開いており長い参道が続いていました。

金剛寺(愛知県)

2019年6月10日撮影
金剛寺の入口です。参道の両側には生垣が茂っていて狭く感じますが、奥に車が止まっていて車は通れるんだと思いました。

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