あいちけんごこくじんじゃ
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楽しみ方愛知縣護國神社のお参りの記録一覧
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明治2年5月、尾張藩主徳川慶勝侯が戊辰の役で戦死した藩士等二十五柱の神霊を現在の名古屋市昭和区川名山に祀り「旌忠社」と号したのが始まり。
その後、嘉永6年以降、先の大東亜戦争に至るまでの愛知県ゆかりの御英霊九万三千余柱を護國の大神として祀っている。
社名は明治8年「招魂社」、同34年「官祭招魂社」、昭和14年「愛知縣護國神社」と改称、戦後一時「愛知神社」と称したが、同30年現社名に復称。
鎮座地は大正7年に現在の名古屋市北区名城公園、昭和10年に現社地に御遷座。
先の大戦の空襲で御社殿は炎上したが、昭和33年11月に本殿・拝殿等復興、同57年10月に社務所竣工、平成10年3月に神門・舞殿・廻廊が竣工して戦災復興が完了した。


2017年4月28日にお詣りしたのが初めてです。
外堀通りの本町橋交差点を北側(三の丸)に入ってすぐの緩くカーブするところに護国神社はあります。
護国神社の由来は神社のホームページや神社にある由来説明板で読むことができますので、今回は私の参拝した時の感想を書きます。
初めて来た時は、春のみたま祭の初日だったらしく社殿の前庭にたくさんのテントが張られ神社の職員さんが忙しくお祭りの準備をしていました。私の寺社巡りも最初の頃だったので、お祭りの準備を邪魔してはいけないと思い、社殿前の参道までで引き返しました。
2019年の二回目のお詣りの時は、神門の前まで行ってお詣りしました。
神社の周りの杜の中には戊辰戦争から太平洋戦争までの御神霊の慰霊碑がたくさん建てられているみたいです。

2019年5月29日撮影
神社鳥居前です。お祭りでない時にお詣りしたので、幟もなくひっそりとしています。

2017年4月28日撮影
お祭りだったので外から神社境内を写しました。白黒の幔幕を張ったテントなどが立ち並んでいます。

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