なごやじんじゃ
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楽しみ方那古野神社のお参りの記録(1回目)
投稿日:2026年06月28日(日) 21時46分41秒
2017年4月28日に初めて参拝しました。
那古野神社は名古屋市中区丸の内、外堀通りの南側で、名古屋東照宮の東隣に鎮座しています。
名古屋市史社寺編(大正4年版)に拠りますと、
昔は天王社又は亀尾天王社と呼ばれ、名古屋城内三之丸にありました。
尾張誌や名所図会に記されている縁起から延喜11年(911年)、天皇の勅令によってこの地に鎮座したそうです。
天文元年(1532年)、那古野合戦(織田信秀と今川氏豊の戦い)の兵火に遭って焼失しました。
天文8年(1540年)に織田信秀が再興しました。
慶長15年(1610年)、名古屋築城の際に、この神社が城内に入ってしまうので他所に移そうとしましたが、徳川家康はこれまでのこの神社の神徳をよく考えて神籤によって神意を聞こうとし三度神籤を引き、結果は遷座するという卦は出ませんでした。
家康はこの結果から神祠をそのままこの地に置いて祀りました。
尾張藩初代藩主の義直も敬い深く、寛永6年(1629年)に社僧の堯養に命じて神社を修築しました。
明暦2年(1656年)、2代藩主の光友も修繕を加え太刀、馬を奉献しました。
下って、明治維新の時、須佐之男社と改名させられました。
明治9年(1876年)には今の地に遷座させられました。
明治32年(1899年)に那古野神社と改名しました。
また、ウィキペディアに拠りますと、
・那古野合戦の時、神社が再建されましたが、後に別当寺となる亀尾安養寺(天王坊)が隣りに建立されました。そのため、一般には亀尾天王社と呼ばれるようになったそうです。
・天王社は家康のくじ引きで城内に残りましたが、同じところにあった八王子社(現在の春日神社)は北区清水に、若宮八幡社も中区栄に移転しました。
・明治になって須佐之男社と改名させられたのち、明治4年(1871年)には別当寺である安養寺が廃寺となり破却されました。
・名古屋城内に鎮台が置かれることになり、明治9年(1876年)に堀の外に遷座しました。
・昭和20年(1945年)の名古屋大空襲で焼失しましたが、
昭和29年(1954年)に本殿、昭和32年(1957年)に拝殿、昭和34年(1959年)に社務所が再建されました。
那古野神社は名古屋市中区丸の内、外堀通りの南側で、名古屋東照宮の東隣に鎮座しています。
名古屋市史社寺編(大正4年版)に拠りますと、
昔は天王社又は亀尾天王社と呼ばれ、名古屋城内三之丸にありました。
尾張誌や名所図会に記されている縁起から延喜11年(911年)、天皇の勅令によってこの地に鎮座したそうです。
天文元年(1532年)、那古野合戦(織田信秀と今川氏豊の戦い)の兵火に遭って焼失しました。
天文8年(1540年)に織田信秀が再興しました。
慶長15年(1610年)、名古屋築城の際に、この神社が城内に入ってしまうので他所に移そうとしましたが、徳川家康はこれまでのこの神社の神徳をよく考えて神籤によって神意を聞こうとし三度神籤を引き、結果は遷座するという卦は出ませんでした。
家康はこの結果から神祠をそのままこの地に置いて祀りました。
尾張藩初代藩主の義直も敬い深く、寛永6年(1629年)に社僧の堯養に命じて神社を修築しました。
明暦2年(1656年)、2代藩主の光友も修繕を加え太刀、馬を奉献しました。
下って、明治維新の時、須佐之男社と改名させられました。
明治9年(1876年)には今の地に遷座させられました。
明治32年(1899年)に那古野神社と改名しました。
また、ウィキペディアに拠りますと、
・那古野合戦の時、神社が再建されましたが、後に別当寺となる亀尾安養寺(天王坊)が隣りに建立されました。そのため、一般には亀尾天王社と呼ばれるようになったそうです。
・天王社は家康のくじ引きで城内に残りましたが、同じところにあった八王子社(現在の春日神社)は北区清水に、若宮八幡社も中区栄に移転しました。
・明治になって須佐之男社と改名させられたのち、明治4年(1871年)には別当寺である安養寺が廃寺となり破却されました。
・名古屋城内に鎮台が置かれることになり、明治9年(1876年)に堀の外に遷座しました。
・昭和20年(1945年)の名古屋大空襲で焼失しましたが、
昭和29年(1954年)に本殿、昭和32年(1957年)に拝殿、昭和34年(1959年)に社務所が再建されました。

2017年4月28日にお詣りした時に頂きました。

2017年4月28日撮影
那古野神社石鳥居と石柱標です。
那古野神社石鳥居と石柱標です。

2019年5月29日撮影
那古野神社の石鳥居と石柱標です。
那古野神社の石鳥居と石柱標です。

2017年4月29日撮影
石鳥居から拝殿までの参道です。
石鳥居から拝殿までの参道です。

2019年5月29日撮影
那古野神社の由緒記板です。
那古野神社の由緒記板です。

2019年5月29日撮影
手水舎です。
手水舎です。

2017年4月28日撮影
那古野神社の拝殿です。
那古野神社の拝殿です。

2019年5月29日撮影
那古野神社の拝殿です。
那古野神社の拝殿です。

2019年5月29日撮影
拝殿入口から内陣を写しました。
拝殿入口から内陣を写しました。

2019年5月29日撮影
拝殿脇から本殿を写しました。
拝殿脇から本殿を写しました。

2019年5月29日撮影
塀越しに本殿を写しました。
塀越しに本殿を写しました。

2019年5月29日撮影
塀越しに本殿斜め前を写しました。
塀越しに本殿斜め前を写しました。

2019年5月29日撮影
待合殿だと思います。
待合殿だと思います。

2019年5月29日撮影
摂社5社(日神社、月神社、白山社、弥五郎社、青麻社)です。
摂社5社(日神社、月神社、白山社、弥五郎社、青麻社)です。

2019年5月29日撮影
摂社金山神社の由来の説明板です。
摂社金山神社の由来の説明板です。

2019年5月29日撮影
金山神社の入口、石鳥居です。
金山神社の入口、石鳥居です。

2019年5月29日撮影
金山神社の本祠です。
金山神社の本祠です。

2019年5月29日撮影
厄除の公孫樹です。
厄除の公孫樹です。

2019年5月29日撮影
厄除の公孫樹の説明板です。
厄除の公孫樹の説明板です。

2019年5月29日撮影
摂社福寿稲荷社の隣りにある那古野神社の石柱標です。
摂社福寿稲荷社の隣りにある那古野神社の石柱標です。

2019年5月29日撮影
摂社福寿稲荷社の入口の石鳥居と石柱標です。
摂社福寿稲荷社の入口の石鳥居と石柱標です。

2019年5月29日撮影
福寿稲荷社の石柱標のアップです。
福寿稲荷社の石柱標のアップです。

2019年5月29日撮影
福寿稲荷社の拝殿から本祠を写しました。
福寿稲荷社の拝殿から本祠を写しました。

2019年5月29日撮影
福寿稲荷社の本祠です。
福寿稲荷社の本祠です。
すてき
投稿者のプロフィール
しんめいしゃ55投稿
若い頃から歴史が好きでした。仕事場が奈良県で歴史の真っただ中にいました。定年に近くなった頃、長年思っていた事ーー寺社巡り&遺跡巡りを始めました。定年後は名古屋に居を移し、名古屋市内を皮切りに尾張...もっと読む
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