さくらてんじんじゃ
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楽しみ方櫻天神社のお参りの記録(1回目)
投稿日:2026年06月19日(金) 22時00分24秒
2017年4月22日に初めてお詣りさせて頂きました。
中区錦2丁目、錦通り沿いに日本銀行名古屋支店から東に行ったところに鎮座しています。
社の傍に桜の大樹があったため桜天満宮または桜天神と呼ばれています。
名古屋市史社寺編(大正4年版)に拠りますと、
天文年間(1532~1554年)に織田信秀が菅公(菅原道真)の木像を手に入れて、祠を名古屋城内に造りました。
天文7年(1538年)、織田信秀が名古屋城の南に萬松寺を造り始めると、菅公の祠を境内の山門の左に移して萬松寺の鎮守としました。
慶長遷府(1612~1616年)の時、萬松寺を小林(現在の大須付近)に移転しましたが、菅公祠はそのまま残し、傍に靈岳院を建立し、桜花山と号しました。萬松寺第8世明谷の弟子清庵宗仙を開基とし、萬松寺の末寺として菅公祠の管理担当としたようです。
万治3年(1660年)、大火に遭って桜樹も枯死しました。後に再建されましたが、
宝暦13年(1763年)に再び火災に遭って社殿がすべて焼失しました。
寛政12年(1800年)に拝殿を再建しました。
この後は、ウィキペディア等からの情報です。
明治の神仏分離令の時、菅原神社と名称を改められました。
その当時、神社前の道は菅原道と呼ばれる細い道でした。
昭和12年(1937年)、国鉄名古屋駅が現在地に移動し、それに伴って菅原道が拡張されました。
しかし、神社は昭和20年(1945年)の大空襲で全焼しました。
昭和29年(1954年)に社殿が再建されました。
中区錦2丁目、錦通り沿いに日本銀行名古屋支店から東に行ったところに鎮座しています。
社の傍に桜の大樹があったため桜天満宮または桜天神と呼ばれています。
名古屋市史社寺編(大正4年版)に拠りますと、
天文年間(1532~1554年)に織田信秀が菅公(菅原道真)の木像を手に入れて、祠を名古屋城内に造りました。
天文7年(1538年)、織田信秀が名古屋城の南に萬松寺を造り始めると、菅公の祠を境内の山門の左に移して萬松寺の鎮守としました。
慶長遷府(1612~1616年)の時、萬松寺を小林(現在の大須付近)に移転しましたが、菅公祠はそのまま残し、傍に靈岳院を建立し、桜花山と号しました。萬松寺第8世明谷の弟子清庵宗仙を開基とし、萬松寺の末寺として菅公祠の管理担当としたようです。
万治3年(1660年)、大火に遭って桜樹も枯死しました。後に再建されましたが、
宝暦13年(1763年)に再び火災に遭って社殿がすべて焼失しました。
寛政12年(1800年)に拝殿を再建しました。
この後は、ウィキペディア等からの情報です。
明治の神仏分離令の時、菅原神社と名称を改められました。
その当時、神社前の道は菅原道と呼ばれる細い道でした。
昭和12年(1937年)、国鉄名古屋駅が現在地に移動し、それに伴って菅原道が拡張されました。
しかし、神社は昭和20年(1945年)の大空襲で全焼しました。
昭和29年(1954年)に社殿が再建されました。

2021年4月17日にお詣りした時にいただきました。

2017年4月22日撮影
桜天神社入口です。桜通りから参道が一直線に奥の神楽殿まで続いています。
桜天神社入口です。桜通りから参道が一直線に奥の神楽殿まで続いています。

2021年4月17日撮影
桜天神社の入口です。4年前は素の木造鳥居でしたが、今は朱に塗られて赤鳥居になっていました。
桜天神社の入口です。4年前は素の木造鳥居でしたが、今は朱に塗られて赤鳥居になっていました。

2021年4月17日撮影
通り脇に置かれている時分鐘です。昼夜12時に鐘を撞いて時を報せました。
通り脇に置かれている時分鐘です。昼夜12時に鐘を撞いて時を報せました。

2021年4月17日撮影
時分鐘の隣りに立てられている説明板です。
時分鐘の隣りに立てられている説明板です。

2021年4月17日撮影
桜天神社の由緒書です。
桜天神社の由緒書です。

2021年4月17日撮影
菅原神社と刻まれた石柱標とその由来書です。
菅原神社と刻まれた石柱標とその由来書です。

2021年4月17日撮影
朱色に塗られた鳥居を真正面で写しました。
朱色に塗られた鳥居を真正面で写しました。

2021年4月17日撮影
願い叶う水掛け牛像です。像の周りは願掛け柄杓で埋まっています。
願い叶う水掛け牛像です。像の周りは願掛け柄杓で埋まっています。

2021年4月17日撮影
願の水の牛の由来書です。
願の水の牛の由来書です。

2021年4月17日撮影
「天神の井戸」と言う手水舎です。
「天神の井戸」と言う手水舎です。

2021年4月17日撮影
天神社には必ずあります狛犬ならぬ狛牛です。
天神社には必ずあります狛犬ならぬ狛牛です。

2017年4月22日撮影
神楽殿です。参道の到達点に建っています。拝殿かと錯覚してしまいます。
神楽殿です。参道の到達点に建っています。拝殿かと錯覚してしまいます。

2021年4月17日撮影
4年後の神楽殿です。天神の神紋の梅鉢紋が正面に掛かっています。
4年後の神楽殿です。天神の神紋の梅鉢紋が正面に掛かっています。

2021年4月17日撮影
神楽殿の扁額と神紋です。
神楽殿の扁額と神紋です。

2026年1月8日撮影
5年後の神楽殿です。神紋の額が反対になっています。
5年後の神楽殿です。神紋の額が反対になっています。

2017年4月22日撮影
桜天神社拝殿です。
桜天神社拝殿です。

2021年4月17日撮影
天神社の拝殿です。拝殿前の樹は梅でしょうか。
天神社の拝殿です。拝殿前の樹は梅でしょうか。

2021年4月17日撮影
天神社の拝殿を斜めからうつしました。ちょうど梅?の樹がかぶさってます。
天神社の拝殿を斜めからうつしました。ちょうど梅?の樹がかぶさってます。

2021年4月17日撮影
拝殿を斜め下から迫力が出るように写しました。
拝殿を斜め下から迫力が出るように写しました。

2026年1月8日撮影
天神社の拝殿です。前の梅?の樹が枝だけなので拝殿全体がよく見えます。
天神社の拝殿です。前の梅?の樹が枝だけなので拝殿全体がよく見えます。

2021年4月17日撮影
天神社の扁額です。
天神社の扁額です。

2026年1月8日撮影
5年後の天神社の扁額です。
5年後の天神社の扁額です。

2021年4月17日撮影
拝殿から奥の本殿を写しています。
拝殿から奥の本殿を写しています。

2026年1月8日撮影
拝殿の奥です。
拝殿の奥です。

2021年4月17日撮影
拝殿脇の七摂社です。
拝殿脇の七摂社です。

2021年4月17日撮影
神社入口のある「桜天神社」と刻まれた石柱標です。
神社入口のある「桜天神社」と刻まれた石柱標です。

2021年4月17日撮影
桜天神社の全体です。三方を背の高いビルに囲まれながら存在感を表しています。
桜天神社の全体です。三方を背の高いビルに囲まれながら存在感を表しています。

2026年1月8日撮影
観光用の桜天神社の由来書です。
観光用の桜天神社の由来書です。
すてき
投稿者のプロフィール
しんめいしゃ52投稿
若い頃から歴史が好きでした。仕事場が奈良県で歴史の真っただ中にいました。定年に近くなった頃、長年思っていた事ーー寺社巡り&遺跡巡りを始めました。定年後は名古屋に居を移し、名古屋市内を皮切りに尾張...もっと読む
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