きゅうこくじ|曹洞宗
久国寺のお参りの記録一覧
仕事帰りに、仲間を車で送った後にたまたま見つけた神社です。後から調べたら、鐘が有名だとか。
辺りも暗くなりかけていたので、足早にお参りを済ませて、たまたま御朱印を見つけました。
セルフ御朱印でしたね。
ハンコを押す際に失敗してしまいましたが、ご愛嬌。
本当はもう少しよく見ていたら鐘の存在も分かったかもですが、学生が2人ほどその辺で座って話をしていたので、遠慮してそこは写真撮ることを飛ばしてしまったんです。先客に写真撮るからどいてなんて事は言えません。皆が写真を撮るためにこのお寺に来てる訳ではありませんので。
岡本太郎さんの縁があることも後に知ったことです。それくらい、気のみ気のままに来たお寺でした。まだまだ不勉強ですが、写真と御朱印とお参りは、節度とマナーを持ってこれからも続けます。
御朱印です。ハンコタイプの自分で押印するものです。押すの失敗しまして、無理やりまとめた感が否めません(汗)
久国寺入口付近
本堂ですね
こちらは慶長年間の創建です。家康公の守護仏を三河法蔵寺から貰い受け建立されました。名古屋城の鬼門除けとなっております。こちらには芸術家岡本太郎作の梵鐘があります。「歓喜の鐘」と名付けられたこの鐘は昭和40年(1965年)に製作されました。その当時の住職が知人を通じて製作を依頼されたそうです。当然普通の形の鐘ではありませんよ。またもう1つ、コンクリート像作家の浅野祥雲作の護国観音像もあります。
寺号標と山門です。
山号の「天長山」は名古屋城本丸の「天長峰」から借りられたそうです。
早速鐘楼を見てみましょう。
かなり大きく、下の方にあります。
上のトゲトゲが衝撃的です🤯 仏教の広大な宇宙、マンダラをイメージしたそうです。
上部のトゲトゲは腕を突き出した人間、下部は瞑想する仏、動物や魚、妖怪など森羅万象を表現しています。大阪万博の5年前の作ですが、「太陽の塔」の腕に共通するものがあります。
岡本太郎の銘がありました。事前に小型の試作品を5体作成し、その1つを親交のあった石原慎太郎氏に譲られたそうです。その息子の良純さんが某テレビ番組に鑑定してもらったら何と8,000万の値が付きました😳
こちらは浅野祥雲作の護国観音像です。
ハッキリした顔の造作は彼らしさがあります。
本堂です。
こちらでお参りです。
御本尊は聖観世音菩薩です。行基作とされています。
御朱印はセルフでした。一応ハンコを捺しましたが、位置がよく分からず、後で見たら間違えていました。恥ずかしいのでボツにしました🫣
また、近くに来た時にリベンジします。
尾張三十三箇所観音霊場第29番札所の久国です。
今日は隣接する幼稚園がお休み日ですが、喧騒が静まったらけで
普段とあまり変わらないですね。
3度目の奉拝です。
山門と標柱、手前は駐車場になります。
自転車の方は山門をくぐり本堂手前のお地蔵さん辺りに留めるようです。
しばらくぶりの参拝です。
御朱印は相変わらずの自押しでした。
直書きの話は一向に出てきませんね。
岡本太郎の歓喜の鐘があるところで🔔有名ですね。
また、尾張三十三ヶ所霊場にも指定されています。
南側から
東側から
北側から
西側から
庚申?
庚申の像かな
医王殿だから明王様かも
1枚だけの絵天井になってました。
水子地蔵
本堂
ご開帳あるのかな?
十六羅漢
尾張三十三観音霊場の尾張東部の寺院巡りの7寺目は、名古屋市北区に在る第29番 天長山 久国寺です。今回の寺巡りの最後になります。
先の第30番善福院から北東へ1km行った所に在ります。曹洞宗で、本尊は聖観音菩薩。
岡本太郎作の梵鐘がある事で知られています。
16世紀末~17世紀初に三河の法蔵寺から家康の守護仏である出世勝利開運聖観音菩薩を譲り受け創建したとの事です。大戦での名古屋大空襲により焼失していますので、それ以降の再建のため建物等はさほど古くはありません。
山門をくぐると正面に本堂ですが、右手の鐘楼にトゲトゲのちょっと異様な梵鐘がぶら下がっています。これが岡本太郎作になります。この梵鐘を見るためにこの寺院に訪れる方もいらっしゃる様です。
こちらの寺院も本堂が閉まっているため祭壇等はわかりませんでした。(名古屋市内の寺院は治安上、お堂は鍵が掛けられている?)朱印もお堂の外に置いてありました。
よって、セルフで朱印を押印しました。
尚、駐車場は、境内の左側(西側)の道路を挟んだ所に30台位停めれます。
御朱印
山門
本堂
鐘楼
岡本太郎作の「歓喜の鐘」
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