げだつじ|臨済宗妙心寺派|楞枷山
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解脱寺のお参りの記録一覧
ハイチュウ
2023年03月31日(金)
3919投稿
解脱寺には、こんなお話しが残されています。
解脱寺は栄にある白林禅寺の末寺です。白林禅寺は犬山城主成瀬家の菩提所だったのですが、二代目正虎の頃不祥事を起こした家臣が白林禅寺に救いを求めて駆け込みました。住職の全用和尚は正虎の要求に対して家臣を渡さない、としていたのですが、正虎は和尚を騙して家臣を手討ちにします。全用和尚はこれに怒ってしまい、故郷の上州に帰ってしまったそうです。この件を後悔した正虎は1657年、荒れ果てていた薬師堂を再建し解脱寺と名付けます。1688年には松尾芭蕉がここで句会を開き、「粟稗に 貧しくもあらず 草の庵」という句を残し、その句碑はこの解脱寺に残されています。
なるほどね。
右下の方にある石が句碑みたいです。
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シンくん
2022年11月26日(土)
3291投稿
閉まっているので、格式が高いのかな?といった感じでしょうか?
標柱
本堂かと、、、。
昭和60年3月吉祥之日
駐車場
一番右が薬師如来の碑
左から2番目に松尾芭蕉の『粟稗に とぼしくもあらず 草の庵』
粟稗にとぼしくもあらず草の庵
ひえやあわが実って食べ物が豊かにありますね。長虹(解脱寺の僧侶)への挨拶吟。ただし、稗や粟であるから庵主の生活態度は質素そのものであり、それを理想としていたのである。芭蕉もまたそこに共感する人であってみれば、「とぼしくもあらず」には自ずと自制が入る。つまり、庵主の生活は「清貧」だったのである。
30センチほどの台石に乗った高さ約70センチの自然石で、前面に句、右面に文政5年(1822年)10月建立と刻まれている。
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