じぞういん|曹洞宗|蔵王山
地蔵院のお参りの記録一覧
今日は寺務所も開いていましたので、延命地蔵尊に続き参拝です。
地蔵院、地蔵縁日なのでどなたかがいらっしゃるでしょうと。
最初に通った時は自転車しかなく、次に通った時は車が停車されていました。
読経一式あげて来ました。
すると、堂守さんが般若心経まで上げる方がいないとお声をかけて来られました。
ここから、小一時間お話ししましたところ、訛りが散見されたのでお伺いしたら
幼少の頃過ごした鹿児島=薩摩ことばを使われる方でした。
歳の頃は八十半ば過ぎ、背筋もしっかりされており、モップで拭き掃除を
せっせせっせとされていました。
これもご縁なので、先を急ぎたい(天候影響)とこでしたが、一期一会になっても
嫌でしたので、共にお話をいろいろさせていただきました。
毎月24日の午前はいるとの事で、足掛け20数年されているそうです。
私みたいにまだ3年からみても、20年というのはすごいことの様に思えます。
他の話もいろいろと聞きたいですよね、最近はそういう古老の方、ほんと数が少なくなってしまったのでね。
左側にこの黒い車が止まっていると堂守さんがいらっしゃいます=駐車場が埋まっているので近隣のコインパor久国寺駐車場が〜良さそうです(久国寺寺務所には一報するのがトラブル回避のベスト。
地蔵院の成り立ちが分かるものがお隣の公園の一角にありました。
こういう側面知らなかったです。
大体どこでも辻斬りの犠牲になるのは庶民ですね。
尼ヶ坂地名の由来と伝説
片山神社に西から登る灘らかな坂道と、東から登る急な坂道があります。
それぞれ、尼ヶ坂、坊ヶ坂 と呼ばれていますが、江戸時代此の地に
住んでいた 権現小町 と呼ばれる美人の村娘と高位の青年武士の悲話が
地名の由来と伝承。
尼ヶ坂 はその昔、樹木が茂る中を縫う様な薄暗い道で、坂上の
名古屋台の向かう通路として、尼ヶ坂近道とも呼ばれていました。
当時は、辻斬りが多く出没し、通行人が被害を受ける事もしばしばでした。
公園の西にある地蔵院は、その霊を弔う様にと、久国寺の住職が、
寺の門前にあった六地蔵の内一体をここに移して祭ったのが
初まりと言われています。
出会いの杜・尼ヶ坂公園
此の付近は、名古屋城から見て北東位置に当たり、古くは鬼門を守る
鎮守 とされていました。今も尚、片山神社をはじめとして、
長久寺(真言宗豊山派)・普光寺(曹洞宗)・久国寺(曹洞宗)など
神社仏閣が数多点在していま〜〜〜〜〜
その中で、片山神社は、その〜〜〜〜〜
と言い、境内一◯の緑は、蔵王の杜〜〜〜〜〜
する杜の一つとして有名でした。
現在では、尼ヶ坂公園と名古屋市緑地保全地区に指定されており、地球に
息づく身近な自然との出会い〜〜〜〜〜
最新の限定御朱印情報が届く!
御朱印メルマガを受け取ろう
利用開始をもって利用規約・プライバシーポリシーに
同意したものとみなします。
ホトカミで困ったこと、不具合のご報告はこちらから
お問い合わせ
5
0