ちょうぼじ|臨済宗東福寺派|霊鷲山
長母寺のお参りの記録一覧
「尾張三十三」第28番札所、「城東西国三十三」第18番札所です。
名古屋に移動しました🚃
1179年にこの地の領主であった山田重忠の開基により創建されました。
当初は天台宗に属しており亀鐘山桃尾寺でした。
1263年に無住一円が入寺して以降禅宗寺院となり、山号・寺号が現在のものに改めらました。
一時末寺93ヶ寺を数えるほど隆盛しました。
北条氏・足利氏・織田氏などから寺領を寄進され、文禄年間(1593年 - 1596年)の太閤検地により寺領が没収され一時衰退した時期もありました。
1682年に尾張藩2代目藩主徳川光友の命により、禅僧・雪渓恵恭が再興しています。
御朱印は庫裏で頂きました。
雨が降っていたのでテンションだだ下がり。でも、がんばって生きましょう!
境内の右っ側がフェンスが張られていて入れませんでした。拝見してみたいがね。
石段を上ります。
意外に小さな寺号標
石段を上った先に鳥居が
熱田神宮とある
小さな社が
雨で滑りそう
ふと足元を見ると・・・ヤバい逃げろ!
本堂
聖観世音菩薩
さざれ石
「はい!それでは撮りま~す!」
東司
尾張三十三観音霊場の尾張東部の寺院巡りの5寺目は、名古屋市東区に在る第28番 霊鷲山 長母寺です。
臨済宗東福寺派で、本尊は阿弥陀如来。(納経帳には本尊聖観音となっているが。)
矢田川左岸の近くに在り、ナビが古いせいか1度では辿り着けず、ぐるっと1周してしまいました。木ヶ崎公園テニスコートの南側の細い道の先(西)に在ります。参拝される方は事前にGoogleマップ等で確認されてから行かれることをお勧めします。
1179年に領主が母の菩提を弔うために創建、その後の1263年に無住和尚にて臨済宗に改宗し、寺号も「長く母を弔う」ことから長母寺に改められたとの事です。また、無住和尚は尾張万歳を作った人として知られています。この無住和尚像が開山堂に祀られており、重文指定で年に1度だけ10月10日に開扉されます。
境内はやや広目で正面に本堂、右側に庫裡、左側に開山堂があります。が、本堂も開山堂も閉じられていたため、入る事も中を観る事も出来ず、堂外から手を合わせました。境内の東側には鐘楼や蔵がありましたが、フェンスがあったため近くには行けませんでした。
庫裡で朱印を押印して頂きました。その際に「本堂前にある観音様に手を合わせて下さい。」と言われました。(言われる前に拝んでいましたが。)
物騒な世の中ですしコロナも蔓延しているため門戸を開いていないのかも知れませんが、よくわかりませんでした。
尚、駐車場は山門横から境内に入って停める事ができます。
御朱印
石柱
山門
本堂
開山堂
さざれ石
庫裡
鐘楼
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