かぐらざかわかみやはちまんじんじゃ
御朱印・神社お寺の検索サイト
楽しみ方続けるにはログインまたはアカウント登録が必要です。
神楽坂若宮八幡神社のお参りの記録一覧
絞り込み

神楽坂の賑わいから一歩入った静かな住宅街に鎮座する、神楽坂 若宮八幡神社を参拝しました。
高台の入り口から石段を上がると、都会の喧騒を忘れさせるコンパクトで清浄な境内が広がっています。目に留まったのは、境内の隅に据えられた手動の井戸ポンプ。日常の風景に溶け込みつつも、災害時などの「非常時の備え」として大切に維持されているというお話に、地域の人々の暮らしと深く結びつき、守り合っている神社の温かな役割を感じ、深く感銘を受けました。
拝受した御朱印には、中央に「神楽坂 若宮八幡神社」と端正な筆致で記され、右上には鮮やかな赤色の三つ巴紋が捺されています。日付は「令和八年三月二十九日」。神楽坂という歴史ある街の日常と、万が一への備えを共存させる知恵に触れた、心安らぐ参拝となりました。

本日は遠州流の点初めへ。
いつも家元宗家に伺う際は、早めについてお参りします。
以下は今年の感想です。
【遠州流の点初めへ〜茶道は日本文化の総合芸術〜】
遠州流の点初め(たてぞめ)に、いつもお世話になっている円覚寺の横田南嶺老師と、昨年に続いて参加させていただきました。
遠州流とは、小堀遠州公を祖とする武家茶道です。
小堀遠州公は、千利休、古田織部に続く茶人でありながら、
名古屋城、二条城、駿府城などのお城や、桂離宮、江戸城の二の丸庭園なども手がけた方です。
その遠州流14代の小堀宗以さんとは、ここ数年、一緒にお寺に通うなど、お世話になっています。
点初めでは、まずはお菓子をいただき、濃茶席があり、点心をいただき、最後に薄茶席がありました。
はじめの濃茶席が、とにかく緊張します。
お正客の横田老師の隣で、次客をつとめさせていただきました。本来であれば、末席に座るような身分でありながら、有難いばかりです。
令和8年歌会始のお題である「明」が随所に感じられる時間でした。
お伝えしたいことはたくさん思い浮かぶのですが、
点初めの具体的な内容は書けないので、茶道についてあらためて感じたことを書きます。
【茶道は日本文化の総合芸術】と、よく言われます。
5年ほど前、仏像を彫る仏師さんに、日本文化のことをもっと探求したいと相談したところ、茶道をオススメされて始めました。
大河ドラマ「利家とまつ」を見て歴史オタクになり、そこから日本文化に関心を持つようになった私は、お茶を通じて、400年前の人と同じ体験ができるのか、と感動しました。
ちょうど一年前あたりから、150年間の近代化の過程で産業化し、それぞれが独立してバラバラになる方向にある、神社仏閣(場所)、職人(もの)、茶道華道和食など(つかう)をどう再統合していけるか、そして、日本文化の日常と非日常をどう繋ぎ直せるか、ということを考えたり、体験したり、色んな方にお話を伺ってきました。
三者が協力し、さらに人々の日常にも繋がっていきそうな、仕組みはいくつか思いつきながらも、なんだか漠然と違う気がしていました。
最近、仕組みから考えること、要素を分解して、組み合わせて、枠組みをつくり、そこに自然や人間の営みを当てはめていくという考え方自体が、いかにも近代らしく、間違っていたのではないかという仮説に気付きました。
抽象度高く言語化すると、まずは場所や土地があり、その場所に耳を澄ませることで、人間の振る舞いが変わり、心が伝わり、なにかが立ち上がってくる。
もう少し具体的には、神社やお寺(あるいはお城や庭園や自然)という場所がまずあり、そこでゆっくりと歩いたり、感じたことを共有したりしていくうちに、その場所に合わせて人々の考え方や生き方が変化し、心が伝わり、何か新しいけど懐かしいようなものが生まれてくる。
その生まれてきたものを支えるために、テクノロジーがあり、仕組みがあり、事実を残して伝えるためにメディアがあり、循環させていくためにお金がある、と。
得てして、テクノロジーや仕組み、メディアやお金のことから考えてしまうけど、日本文化を主題においたとき、順番が逆なのなもしれない、というのが最近考えていることです。
そして、茶道には、場所、人々、テクノロジーやメディア、そしてお金まで、すべてを結び直す400年の知恵が受け継がれています。
そんなことを感じた点初めの時間と余韻でした。
本当に貴重な機会をありがとうございました。
もっともっとお稽古頑張ります。
そして、日常も稽古になるようにしていきたいです。
#遠州流
#点初め
#茶道

文治5年(1189年)に創建された。源頼朝が奥州藤原氏征討の出兵(奥州合戦)をした際、当地において戦勝祈願をし、成就したことから、鶴岡八幡宮の若宮の分霊を勧請した。これが当社の起源である。当社が「若宮町」という地名の由来となっている。
のち、文明年間(1469年 - 1487年)、太田道灌が鶴岡八幡宮を分祀したと伝わる。
普門院(現在は廃寺)が別当寺であった。かつては歓喜天社や稲荷社などの摂末社があったが、現在は稲荷社が現存している。
東京理科大学の裏手にある「庾嶺坂」を上がった所に在るこじんまりした神社で、戦災に依って焼失した社殿は1962年に再建されたが、1999年に隣のマンションが出来る時に、明治期に似たデザインに鳥居も本殿もコンクリート製に建て替えられた。
この辺りは、空襲で殆ど焼け野原となった場所であるため、この神社も初めは「え?神社でいいのかな?」と思った。
あとで、大田道灌との深い関係を知り、来てよかったと思うのであった。






最新の限定御朱印情報が届く!
御朱印メルマガを受け取ろう
ホトカミで困ったこと、不具合のご報告はこちらから
お問い合わせ
























































