おつきたいしゃ
小槻大社滋賀県 手原駅
参拝自由
御朱印 | - | ||
---|---|---|---|
駐車場 | なし |
創建不詳。
小槻山君が祖神を祀ったのが始まりとされる。
現在の本殿は1519年青地元真の再建で重文指定されている。
拝殿
本殿
本殿
本殿
本殿
本殿
本殿
本殿
山王社
祇園社
稲荷社
小槻大社古墳
近江国栗太郡の式内社です。『延喜式神名帳』編纂当時は大社=出雲大社を指した言葉でしたが、式内社の中では出雲大社以外で例外的に大社を名乗った数少ない神社です。
《一の鳥居》
《社号碑》
郷社に列格していました。
《表参道》
《古墳郡の社》
☆チェックポイント!!
参道にはたくさんウサギの像が置かれています。
社紋にも奥の灯籠に彫られている「真向の兎」として使われており、
祭神の一柱である大己貴命さまの関係から来ていると思われます。
馬…じゃないな。これも兎…なのか!?
《手水舎》
水は流れています。
《本殿》
重要文化財に指定されています。
拝殿ですが、普段は門が閉まっておりお賽銭の奉納さえできません。
お正月だけ開く仕様でしょうか…?
《由緒書き》
同郡の小槻神社と同じで、おそらく二社の混同を防ぐために「大社」を名乗ったのではないかと。
《授与所》
普段は無人社です。
《御神木》
《裏参道鳥居》
このあとに参拝した小槻神社さんに伺ってみると、兼務しているわけではなく、神主さんは別にいらっしゃるそうです。
創紀年代不詳であるが、この地の古代豪族小槻山君の祖神落別命を祀る式内社(栗太郡八座の内)である。小槻氏は奈良時代宮廷に釆女を貢進し、平安時代から明治の新政に至るまで一千年に近い歳月を宮廷社会に官務家として確固たる位置を維持した。『三代実録』貞観五年十二月三日条に従五位下、元慶六年十月九日条に従五位上、『日本紀略』延喜十一年二月二日条に従四位下の神位が小槻大社に授与されたことが見える。中世になると近江の守護佐々木の分流がこの青地庄に居を構え、地名を氏とした。この青地氏は小槻大社をことのほか崇敬し、青地基氏は本殿内陣安置の元宮殿を弘安四年十月に新造している。康永二年四月青地重頼は四脚門を建立し(礎石だけ残して建物はなく、墨書銘がある棟木は現本殿の力棰に転用されている)、さらに同年十二月重頼は上書して正一位の神位授与を官に請うた次第が『園太暦』康永三年八月二十九年条に詳記されている。この申請は裁可されて、正一位の神位が小槻社に授けられた。永正十六年青地元真は現本殿を再建している。青地氏は佐々木の没落とともに運命を共にしたが、近世は膳所藩主より田三反歩を寄進され、以降先規に任せこれの安堵を受けた。明治九年村社となり、明治十四年郷社に列せられた。配祀神大己貴命は何時合祀されたか史料をもたないが、境内を接して平安時代に栄えた名刹天台宗音楽寺(廃寺となりその跡に境内社十二将神社がある)があり、その関係から日吉西本宮が勧請合祀されたのではないかと推察される。
名称 | 小槻大社 |
---|---|
読み方 | おつきたいしゃ |
通称 | 小杖社 |
参拝時間 | 参拝自由 |
参拝にかかる時間 | 15分 |
参拝料 | なし |
トイレ | あり |
電話番号 | 077-552-9048 お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。 |
ご祭神 | 《主》於知別命
《配》大己貴命 |
---|---|
創建時代 | 不詳 |
創始者 | 不詳 |
本殿 | 一間社流造 |
文化財 | 本殿(重要文化財),木造男神坐像2躯(重要文化財) |
ご由緒 | 創紀年代不詳であるが、この地の古代豪族小槻山君の祖神落別命を祀る式内社(栗太郡八座の内)である。小槻氏は奈良時代宮廷に釆女を貢進し、平安時代から明治の新政に至るまで一千年に近い歳月を宮廷社会に官務家として確固たる位置を維持した。『三代実録』貞観五年十二月三日条に従五位下、元慶六年十月九日条に従五位上、『日本紀略』延喜十一年二月二日条に従四位下の神位が小槻大社に授与されたことが見える。中世になると近江の守護佐々木の分流がこの青地庄に居を構え、地名を氏とした。この青地氏は小槻大社をことのほか崇敬し、青地基氏は本殿内陣安置の元宮殿を弘安四年十月に新造している。康永二年四月青地重頼は四脚門を建立し(礎石だけ残して建物はなく、墨書銘がある棟木は現本殿の力棰に転用されている)、さらに同年十二月重頼は上書して正一位の神位授与を官に請うた次第が『園太暦』康永三年八月二十九年条に詳記されている。この申請は裁可されて、正一位の神位が小槻社に授けられた。永正十六年青地元真は現本殿を再建している。青地氏は佐々木の没落とともに運命を共にしたが、近世は膳所藩主より田三反歩を寄進され、以降先規に任せこれの安堵を受けた。明治九年村社となり、明治十四年郷社に列せられた。配祀神大己貴命は何時合祀されたか史料をもたないが、境内を接して平安時代に栄えた名刹天台宗音楽寺(廃寺となりその跡に境内社十二将神社がある)があり、その関係から日吉西本宮が勧請合祀されたのではないかと推察される。 |
体験 | 重要文化財祭り |
概要 | 小槻大社(おつきたいしゃ/おつぎたいしゃ/おづきたいしゃ)は、滋賀県栗東市にある神社。式内社で、旧社格は郷社。神紋は「下り藤」、「真向の兎」。境内で行われる「近江湖南のサンヤレ踊り」はユネスコ無形文化遺産となっている風流踊のうちの一つに指定されている。 |
---|---|
歴史 | 歴史[編集] 詳しい創建年代は不明であるが、社伝によると古代に栗太郡(現・草津市・栗東市一帯)の豪族である小槻山君(小月山公)が祖神である於知別命を祀ったのが当社の始まりであるという[1]。 小槻山君は栗太郡の古代豪族で、朝廷に采女も献上したという。小槻大社内には小槻大社古墳群が残るほか、周辺には下戸山古墳(栗東市指定有形文化財)・地山古墳・岡遺跡(栗太郡衙跡)が残り、これらは小槻山君の関係史跡とされる。これらから小槻山君は栗太郡郡司クラスの家柄であったと推測されている。小槻山君は貞観15年(873年)[原 1]に平安京に居を移し、のち小槻氏(官務家)として朝廷に仕えた。 国史では「小杖...Wikipediaで続きを読む |
アクセス | アクセス[編集] JR草津線手原駅よりくりちゃんバス(治田金勝線)で下戸山宮ヶ谷停留所下車、徒歩3分。 名神高速道路栗東ICから車で10分。 |
引用元情報 | 「小槻大社」『ウィキペディア日本語版』。 この版のURL:https://ja.wikipedia.org/w/index.php?%E5%B0%8F%E6%A7%BB%E5%A4%A7%E7%A4%BE&oldid=101072588 |
ホトカミには、日本最大となる全国15万8千件の神社お寺の情報や、2万件以上の御朱印のオリジナルデータがあります。
ご利用になりたい法人様やメディア関係の方々は、こちらよりお気軽にご相談ください。
利用開始をもって利用規約・プライバシーポリシーに
同意したものとみなします。
ホトカミで困ったこと、不具合のご報告はこちらから
お問い合わせ
5
0