おおしおはちまんぐう
大塩八幡宮福井県 武生駅
社務所 8:30~18:00
御朱印・神社お寺の検索サイト
楽しみ方平安時代、891 年の鎮座と伝えられる古社。武家を中心に崇敬を集める。拝殿は簡素な中にも落ち着きのある大型の長床式拝殿で、昭和 53 年、国の重要文化財に指定。

越前市国兼町の大塩八幡宮⛩️
新たに授与されてる紫式部と木曽義仲の和紙御朱印(厚みあり)をいただきに伺いました🖌️
以前はなかったような、A4版カラーパンフあり😄
義仲により三日三晩で移築されたと伝わる拝殿が国の重要文化財。
本殿を通り過ぎようとすると中からゴトゴトと音が!😱まさかの熊かと思いましたが、イタチかテンみたいな奴が一瞬見えましたε-(´∀`*)ホッ
御朱印は石段参道途中の社務所で、日付を入れていただきました😌
神社はまだ見えない
背後に小さなお宮があった
一の鳥居
二の鳥居。手前が駐車場🅿
ここを登るだけでヘトヘト😰
三の鳥居
手水舎
拝殿
本殿(幣殿)
4本の栂の木には、それぞれ神様が宿る
狛犬さん
境内社
本殿の後ろへ👣
右・高良神社、左・清務霊社
右・天八百萬比咩神社、左・源嫡神社
木曽義仲本陣跡
絵馬殿
カラーパンフは本殿に
御朱印案内
社務所にて。通常版もあります
木曽義仲版
紫式部版

毎年楽しみにしている花はす公園に行く途中、大塩八幡宮、国指定重要文化財の看板を発見しました。
帰りにお参りに🙏
梅雨空の中、苔むした階段が輝いています。
長い階段の先には拝殿。
最近はこの位の階段は何でも無い!と、気合いを入れ登りますが💦💦
杉林の中澄んだ空気、気持ちの良い空間に国指定重要文化財の大きな拝殿が🙏
素敵な神社⛩さんでした☘️
階段は滑ります、気をつけて❗️😊
ニノ鳥居⛩
苔むした長い階段
三ノ鳥居⛩
手水
湧水でしょうか、冷たくて気持ち良い☘️
重要文化財の大きな拝殿
扁額
一ノ鳥居、旧用剤
大きな拝殿の後に鳥居と本殿、一段上がります
狛犬
本殿
摂社
摂社
階段の途中に社務所がありそちらで御朱印頂けます
花はす公園の蓮
これからが見頃☘️
色々な種類の蓮の花があります☘️
第五十八代光孝天皇御代仁和三年(887)八月三日、紀中納言友仲朝臣が当国国府の南泉島へ流罪になった。無実の罪を歎きながら榊を現在の本殿の地に植え、石清水八幡宮の神を祀り、麓に参籠所を設けて日夜祈願を続けた。宇多天皇の御代寛平元年(889)三月勅許により京都に帰ることができた。このことを喜び神勅を戴いて社殿の造営にかかり同三年(891)八月二十日石清水八幡宮の神霊を勧請し鎮座した。この時勅使を派遣され清原元政を神主職に補せられた。中頃に姓を瓜生と改めたが末裔は連綿とし現在に続いている。鎮座の際王子保の地一帯を神領とした事から大塩保八幡宮と言われた。中古武門の崇敬が篤く鎌倉幕府より田地の寄附があり、足利・朝倉家等の国主も尊崇し田畑山林の寄附や社殿の造営修復を行ない、繁栄を極めたが天正年間(1573~1592)一揆が起き、更に慶長年間(1596~1614)の太閤検地の際に悉く没収され神社は衰微した。その後慶長八年(1603)松平秀康が入国した際社領三十石を寄附し、松平忠直は二十石を加増した。以後代々の松平家は崇敬心あつく社殿の造営修理補を行なってきた。明治四年十月郷社・同七年六月県社・同四十一年四月神饌幣帛料供進神社に指定された。同四十三年十月十三日国兼の倭建尊を祀る大神下前神社を初め宇佐神社・愛宕神社・若宮神社・日野神社・日吉神社・小白山神社・癒瘡神社・天神社・住吉神社・若宮神社・稲荷神社など王子保地区内の十二社を合祀した。昭和四十六年八月二十八日八幡神社の社名に復した。境内には、式内社に比定される数多くの社があり、神域は荘厳を極め崇敬者も多い。
歴史をもっと見る|| 名称 | 大塩八幡宮 |
|---|---|
| 読み方 | おおしおはちまんぐう |
| 参拝時間 | 社務所 8:30~18:00 |
| 参拝にかかる時間 | 約15分 |
| 参拝料 | なし |
| 御朱印 | あり |
| 限定御朱印 | なし |
| 御朱印帳に直書き | あり |
| 御朱印の郵送対応 | なし |
| 御朱印帳 | なし |
| 電話番号 | 0778-23-8074 お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。 |
| ホームページ | http://www.jinja-fukui.jp/detail/index.php?ID=20160120_112945 |
| 【公式】越前国府の御朱印・御首題巡り |
|---|
| ご祭神 | 帯中日子天皇 品陀和気天皇 息長帯日売尊 他十七祭神 |
|---|---|
| ご神体 | 不詳 |
| 創建時代 | 寛平三年(891年) |
| 創始者 | 紀友仲 |
| 本殿 | 三間社流造 |
| ご由緒 | 第五十八代光孝天皇御代仁和三年(887)八月三日、紀中納言友仲朝臣が当国国府の南泉島へ流罪になった。無実の罪を歎きながら榊を現在の本殿の地に植え、石清水八幡宮の神を祀り、麓に参籠所を設けて日夜祈願を続けた。宇多天皇の御代寛平元年(889)三月勅許により京都に帰ることができた。このことを喜び神勅を戴いて社殿の造営にかかり同三年(891)八月二十日石清水八幡宮の神霊を勧請し鎮座した。この時勅使を派遣され清原元政を神主職に補せられた。中頃に姓を瓜生と改めたが末裔は連綿とし現在に続いている。鎮座の際王子保の地一帯を神領とした事から大塩保八幡宮と言われた。中古武門の崇敬が篤く鎌倉幕府より田地の寄附があり、足利・朝倉家等の国主も尊崇し田畑山林の寄附や社殿の造営修復を行ない、繁栄を極めたが天正年間(1573~1592)一揆が起き、更に慶長年間(1596~1614)の太閤検地の際に悉く没収され神社は衰微した。その後慶長八年(1603)松平秀康が入国した際社領三十石を寄附し、松平忠直は二十石を加増した。以後代々の松平家は崇敬心あつく社殿の造営修理補を行なってきた。明治四年十月郷社・同七年六月県社・同四十一年四月神饌幣帛料供進神社に指定された。同四十三年十月十三日国兼の倭建尊を祀る大神下前神社を初め宇佐神社・愛宕神社・若宮神社・日野神社・日吉神社・小白山神社・癒瘡神社・天神社・住吉神社・若宮神社・稲荷神社など王子保地区内の十二社を合祀した。昭和四十六年八月二十八日八幡神社の社名に復した。境内には、式内社に比定される数多くの社があり、神域は荘厳を極め崇敬者も多い。 |
| ご利益 | 安産祈願・子宝厄除け交通安全家内安全五穀豊穣 |
| 体験 | 祈祷おみくじ御朱印重要文化財祭り |
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