うのきはちまんじんじゃ
鵜ノ木八幡神社東京都 鵜の木駅
参拝/24時間
御朱印 | |||
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限定 | - | ||
御朱印帳 | - | ありません | |
駐車場 | - |
鵜ノ木八幡神社(うのきはちまん~)は、東京都大田区にある神社。式内論社で、旧社格は無社格。祭神は誉田別命。
社伝によると、戦国時代の1489年に、旧下野国佐野から旧鵜ノ木村へ移住してきた鍛冶師の一族・天明五郎右衛門光虎が八幡大神を奉斎して創建した。天明家は当地一体を開拓した名主で、当社は天明家の邸内社であったと考えられている。江戸時代に編纂された『新編武蔵風土記稿』の鵜ノ木村の稿には八幡社のほかに鵜ノ木明神社の記載があり、これを根拠として平安時代927年に編纂された『延喜式神名帳』に記載のある「武蔵国 荏原郡 稗田神社 小」の論社の1社となっている。(他の論社としては、港区の「御田八幡神社」、大田区の「薭田神社」、「六郷神社」がある。)
当社は、東急池上線・久が原駅の南方500mのアップダウンのある住宅密集地にある。宅地開発が進んだ地域の一角にあり、境内はよくある村の鎮守サイズで草木は少なく、周りの住宅地に馴染んでいる。
今回は、武蔵国の式内論社ということで参拝することに。参拝時は平日の午後で、境内ではお宮参りの家族連れがいた。
境内入口の<鳥居>と<社号標>。
鳥居から<拝殿>を望む。
鳥居をくぐって、すぐ左側にある簡素な<手水舎>。手水鉢はけっこう古そう。
<拝殿>遠景。
<拝殿>全景。
<拝殿>正面。扁額には<八幡宮>の文字。
左の<狛犬>。社殿は新しそうだが、狛犬はいい感じに年季が入っている。
右の<狛犬>。珍しい<授乳型>。
<社殿>全景。色合いにメリハリがあって、東急池上線沿線の人気の住宅街に馴染んでいる。
境内全景。全体的に草木が少なく、さっぱりとした印象。
東京都大田区にある。東急多摩川線・鵜の木駅の東500mほどの南久が原に鎮座。東急池上線・久が原からも南へ500mほどの位置。
境内入口は西向き。境内入口の数段の階段を上ると石鳥居が立ち、鳥居の右手に「鵜ノ木八幡神社」と刻まれた社号標がある。
鳥居をくぐると参道左手に手水舎があり、参道正面に美しい社殿。昭和六十一年発行の『東京都神社名鑑』に載っている写真は瓦葺平入の質素な社殿だが、現在は銅板葺入母屋造。平成に建て替えられたものらしい。
拝殿の扁額には「八幡神社」とあり、賽銭箱には八幡の代表紋である三つ巴紋。拝殿の後方に幣殿・本殿が接続している様式で本殿は流造。街中の神社に多いのだが、社殿の左手は駐車場になっている。
鵜ノ森明神とも称された神社。
社伝によると、延徳元年(1489)、天明伊賀守光信の子・天明五郎右衛門光虎が下野国からこの地に移り住み、当社を勧請し、以後、天明一族により崇敬維持されてきたという。いわゆる私邸に祀られていた神社のようだ。また、寛文の頃、青山因幡守が社殿を修復したと伝えられている。
御朱印は隣の社務所でいただけるようでしたが不在のようでした
名称 | 鵜ノ木八幡神社 |
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読み方 | うのきはちまんじんじゃ |
参拝時間 | 参拝/24時間 |
参拝料 | なし |
御朱印 | あり |
限定御朱印 | なし |
御朱印帳 | なし |
ご祭神 | 《主》誉田別命 |
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ご由緒 | 延徳元年(1489)下野国(現栃木県)佐野の在より天明五郎右衛門光虎が当地に移った際に一族の守護神として八幡大神を祀ったのが当社の起源である。創建より既に500有余年の時代が流れ一族の主神から地域の氏神として信仰されるようになった。長い年月の間には数々の補修があったが、特に弘化四年(1849)に建立された社殿は戦火で失うまで現存していた。その後平成十二年氏子崇敬者の寄進により待望の社殿社務所を始め付属建造物が再建され、これを機に八幡総本社である大分県宇佐神宮より御分霊を勧請し一層の神慮が深まり霊験あらたかな社として今日に至る。 |
体験 | 御朱印 |
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