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曹洞宗

繁慶寺
新潟県 小島谷駅

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名称繁慶寺
電話番号0258-74-3080
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詳細情報

宗旨・宗派曹洞宗
ご由緒

 『明応年間(1492~1500)越後地方に大地震があり死者が続出しそのまま放置された状態が続いた。刈羽郡北条村(柏崎市)普広寺二世俊岳忠喆は、村々をまわり埋葬し回向した。

 これを伝え聞かれた狭霧城主中務力丸慶忠がこれを徳とし、招いて根小屋の鎮守牛頭天王の社頭に戒壇を設け災障消除国家鎮護の祈禱を行わしめた。ついで部落の東の山腹に一宇を建て天王山繁慶寺と号し俊岳忠喆を開祖とした。時に明応七年(1496)であった。

 その後外護者の城主が滅亡し廃寺となった。

元和二年(1616)普広寺十世一翁呑香が廃寺を惜しみ、佛山光玄寺跡より出土した弘法大師御作と伝えられる木像の来迎の三尊像(正面阿弥陀、測立勢至、観音)を本尊として堂宇を再建し呑香を中興開山とした。その後火災にあい再建遅々として進まなかったおり、繁慶寺五世の弟子で上州月夜野玉泉寺二十五世靠嶽が金子二十両を寄進した。

 依って七世活山桃龍の代文政七年(1824)に現在の本堂が完成した。』

  「新潟県寺院名鑑」より

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