あんぜんじ|天台宗|金峯山
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七月十三日 蔵王堂城跡に座します、堀直寄公の縁の寺 天台宗 金峰山 静観院 安禅寺様の毘沙門堂の御開帳に参拝させていただきました!
安禅寺 もとは蔵王堂でした
福島県会津若松市 旧金峯山 平等寺の伝承に、大和蔵王堂、会津、長岡が日本三所の蔵王とあります
明治に廃寺になりましたが、三芳野千春住職により復興しました
蔵王大権現、堀直寄公、妙徳院さまと、歴史の深いお寺さまです
※掛け軸などの写真は、「蔵王堂城史跡を守る会」の方々に許可を得ています※
歴史を知っていただきたい、実際に見て感じてもらいたい との想いで許可を得ています
もちろん、写真はほんの一部です
また、この日も守る会の方々が境内の整備、御開帳の対応をされていました
本来なら然るべき所に保管される、貴重な歴史の遺産を見させていただき、ありがとうございました!
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『蔵王権現堂の別当寺、修験堂の本山であった当寺は、道昭上人の開山により、和銅二年(709)大和国吉野蔵王権現を模刻して古志郡楡原に勧請したが、保元の乱の戦災をうけて三島郡矢田を経て仁治年間(1242)現在地に遷座されたと伝えられている。中興の祖であった義道大僧正の入寂、宝永七年(1710)以後東叡山輪王寺宮の御兼帯となり、教儀は信徒に任かせられ長く別当の職は中絶していた。
安政二年(1855)慈性法親王の命によって安住院亮貫は、浅草寺より安禅寺別当に転住した。戊辰の役の戦火で寺は灰爐に帰し、明治三年(1870)神仏分離によって廃寺となり、蔵王権現堂を守るためには還俗して三芳野千春と称し金峯神社の社司にならざるを得なかった。その後寺再興の志黙し難く、神官を辞して比叡山に入り修行に専心した。明治十七年(1884)になって寺の復興を許可され、今日に至っている。』
写真












安禅寺の情報
| 住所 | 新潟県長岡市西蔵王3-2-13 |
|---|---|
| 行き方 |
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安禅寺の基本情報
| 名称 | 安禅寺 |
|---|---|
| 読み方 | あんぜんじ |
| トイレ | あり |
| 御朱印 | あり |
| 限定御朱印 | なし |
| 電話番号 | 0258-32-7664 お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。 |
詳細情報
| ご本尊 | 毘沙門堂 本尊 毘沙門天 観音堂 十一面観音 |
|---|---|
| 山号 | 金峯山 |
| 院号 | 静観院 |
| 宗旨・宗派 | 天台宗 |
| 創建時代 | 和銅元年 708年 |
| ご由緒 | 『蔵王権現堂の別当寺、修験堂の本山であった当寺は、道昭上人の開山により、和銅二年(709)大和国吉野蔵王権現を模刻して古志郡楡原に勧請したが、保元の乱の戦災をうけて三島郡矢田を経て仁治年間(1242)現在地に遷座されたと伝えられている。中興の祖であった義道大僧正の入寂、宝永七年(1710)以後東叡山輪王寺宮の御兼帯となり、教儀は信徒に任かせられ長く別当の職は中絶していた。 安政二年(1855)慈性法親王の命によって安住院亮貫は、浅草寺より安禅寺別当に転住した。戊辰の役の戦火で寺は灰爐に帰し、明治三年(1870)神仏分離によって廃寺となり、蔵王権現堂を守るためには還俗して三芳野千春と称し金峯神社の社司にならざるを得なかった。その後寺再興の志黙し難く、神官を辞して比叡山に入り修行に専心した。明治十七年(1884)になって寺の復興を許可され、今日に至っている。』 |
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