真言宗豊山派藤林山
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小道の両側がソメイヨシノの並木道♪
そんな感じで進むと、こちらのお寺に行きつく。隣は稲荷神社だ。
緑が深く、お大師様も新緑の青葉に見えないくらいだった。
春にお勧め!です。
新緑や 大師覆いし 出迎えし
西福寺(さいふくじ)は、豊島区駒込にある真言宗豊山派の寺院。山号は藤林山、院号は歓喜院。本尊は阿弥陀如来。<染井よしの桜>の発祥の寺としている。
創建は不詳だが、江戸幕府昌平坂学問所が編纂した『新編武蔵風土記稿』に記述から、少なくとも江戸初期には存在していたと推測される。境内の無縁塚にある石製の六地蔵にも明暦元年(1655年)の文字がある。江戸期には、津藩藤堂家の江戸下屋敷が近く、藤堂家の祈願所として栄えた。また当時近隣には植木職人が多く住み植木栽培を行っていたため、8代将軍・吉宗をはじめとする歴代将軍が植木巡りの休憩所として当寺を訪れたとのこと。明治期には廃藩置県で津藩関係者が去って寺運が衰退、住職不在が数十年続いたこともあったとのこと。
当寺は、JR山手線・駒込駅の西方0.5kmの住宅街の中にある。境内の隣に大正期に分離した<染井稲荷神社>がある。境内で参拝者が見て廻れる部分は少なく、ほとんどが墓地。
参拝時は週末の夕方で、自分以外に参拝者はいなかった。(実は自分は別の<西福寺>、北区豊島にある<西福寺>に参拝するつもりだったが、カーナビの設定ミスでこちらに参拝...汗)
寺門と本堂。
本堂全景。
境内右手の<弘法大師像>。
寺門入って右手の<慈母観音>。
慈母観音像の後ろにある無縁塚。写真右側にあるのは、江戸前期の明暦元年(1655年)に造られたと刻まれている<六地蔵>。
奥羽国仙台藩の第13代藩主、伊達慶邦公の墓の跡地。1868年の戊辰戦争で仙台藩は奥羽越列藩同盟の盟主として、薩長軍と戦い敗戦・降伏。死罪は免れるも江戸へ連行され、1874年死去。当寺に葬られたが、のち1890年に伊達藩の祖廟のある仙台の大年寺山に改葬された。
本堂左手にある桜の木。ソメイヨシノ? 一本だけ8分咲き。
名称 | 西福寺 |
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御朱印 | あり |
限定御朱印 | なし |
電話番号 | 03-3918-4606 お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。 |
巡礼の詳細情報
豊島八十八ヶ所霊場 第62番 | 御本尊:阿弥陀如来 |
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詳細情報
ご本尊 | 阿弥陀如来(伝徳一太師作) |
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山号 | 藤林山 |
院号 | 歓喜院 |
宗旨・宗派 | 真言宗豊山派 |
ご由緒 | 創建年代は不明。江戸時代は、大名藤堂家の下屋敷に近く同家の祈願寺として非常に大きなお寺であったそうです。境内には六道(地獄道・餓鬼道・畜生道・修羅道・人道・天道)について教えを説くため六体の地蔵が刻まれている。これは、明暦元年(1655)に造られたもので豊島区内で最古のものです。 |
体験 | 札所・七福神巡り |
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