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曹洞宗

雙林寺のお参りの記録一覧
群馬県 敷島駅

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たかく
たかく
2019年09月24日(火)133投稿

文安四年(1447)白井城主長尾景仲が剃髪し、入道昌賢と号し、その三年後の宝徳二年(1450)に開基となり月江正文禅師(本寺、小田原大雄山最乗寺第七世)を開山として招き以後、法灯綿々として輝き、現住職は五十一代目である。宗旨曹洞宗(禅宗)であって、創建当時は、月江禅師を慕って全国の修行僧が雲の如く集まり、「常に二千人を下らず」中に四天王・十大老僧がいて禅師を補佐したと古記録に記されている。「雙林の水を呑まざる者は、禅僧にあらず」とまで言われた。太田道灌が江戸城を築いてより、徳川幕府の終わりまで深い関係を有し、常に雙林寺から住職や雲水が上がって将軍の交替時には、有名な「城固めの法問」を行っていた。
 また、慶長年間に入って僧録職に任ぜられ、上野、信濃、越後佐渡の四ヶ国の総取締りとなったので、修行寺であると同時に役所寺であった。その役所を知客寮と呼んでいた。
 伽藍は禅寺七堂伽藍の形を備え、その規模の雄大無比なることは関東にその類を見ず、老杉うつ然として、参拝する者をして気澄み心落ちつかしむといわれ、直末寺は四十八ヶ寺を数え
全国に散在する門葉は、二千ヶ寺を超えている。長尾景仲の娘は太田道灌に嫁いでおり、景仲も関東の案者と呼ばれる程の知恵者だったそうです。

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