ずいこうじ|天台宗|松医山
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栃木十三仏 第9番です。
町はずれ田んぼの終わりにありました。
しとしと降る雨の中で、手水から流れる水が勢いよくボコッと音をたてているのが印象的でした。
しっとりとしたお寺で、お昼間際の御朱印のお願いも、快く受けて頂いたご住職は多分優しい人だな、と感じました。
山門
竹の筒からボコボコ音をならして、惜しみなく流れる水に見入ってしまった。
落ち着いた本堂です。
屋根が高っ
一応この日の目的地、栃木十三仏のお寺です。
前の仏生寺とはまた別の山あいに入っていき、今度は山一つ越えると益子町という所にあるお寺。
益子も行ってみたかったな~(´・ω・`) あればだけど益子焼の仏像なんかも買っちゃったりしてw
当初の予定では二泊三日で茂木辺りまで遠征し、帰りに上三川にあるもう一つの栃木十三仏も取ってくる予定だったのですが・・・ホント不実な水使神社なんかに気を取られたのが悔やまれる(><)
まぁ天気も悪かったし、「仕方ない」という許容の心も私の信奉する妖精哲学の三信の一つ
ちなみに妖精哲学のあとの二つは「だらしねぇ」という戒めの心と、「歪みねぇ」という賛美の心です。
妖精哲学に興味ある方は「ビリー・ヘリントン」とか「パンツレスリングの兄貴」でググってください。
ただしノンケには閲覧注意な画像も結構出てくるので注意w
さて、参拝を済ませ庫裏に向かったところ・・・
ピンポ~ン♪ ・・・シーン・・・
ピンポ~ン♪ ・・・シーン・・・
・・・まさかの留守? 秩父十三仏の悪夢の二の舞か(;゜∀゜)
ざ け ん な ぁ っ !
こんな遠いところにある地味寺に2回も3回も来れるかっ!!(#`Д´)
・・・言ってる側から「仕方ない」という許容の心はどこに行った orz
しかし耳を澄ますとどう考えても人の話し声や生活音が聞こえる・・・この時はもう「オラオラ!居留守使ってんじゃねーぞ!(゚Д゚)」という借金取りのような気持ちで周りを見回すと、お寺の裏の山から子供がこちらをガン見してるのを発見。
見ぃ~つけた~~~!(・∀・)ニタァ
裏山に登ってみたところ、御住職一家が庭仕事中で、声を掛けてみたところ無事に受印することができました。
いやなに、インターネットミーム、しかもゲイネタから生まれた信条を生きる指針にしてる私の信仰なんてこんなもんすよ☆
聖人ぶる気なんてサラサラありませんや、ハッハッハ\(^∀^)/
・・・ orz
栃木十三仏 第九番 勢至菩薩
どうも勢至菩薩とは相性悪いのか、この前の秩父十三仏の最後の寺も勢至菩薩だったような(^^;
御詠歌
田舎の谷の一番奥にあるお寺ですが、屋根が大きくて立派なお寺だった
もうほとんど益子町に近いところです
益子も行きたかったな~(><)
左側に池
木造の素朴な山門
浄水
山からの湧水なのか、池と同じく豊富な水量の水が流れてました
本堂
大きめの観音像
本堂以外の堂宇はないようです
お犬様
精悍な顔付きですが、全く吠えない非常に大人しい子だった
よく見たらお猫様もいました
枯れ草と一体化した完璧なカモフラージュ
この子も全く起きる気配なし、ここの動物はみんな落ち着いてますねw
歴史
天台宗で松医山三宝院瑞光寺と称し、寺伝によれば、貞観2年(860)慈覚大師の開基とされる。本尊は勢至菩薩であるが「下野国誌」には、本尊は薬師如来であると記されている。瑞光寺は、当初からこの地にあったのではなく、以前は原、中丸(西田井地内)というところにあり、第一世で中興開山覚秀が現在の地に移したと伝わっている。慶安元年(1648)8月24日に将軍家より15石の朱印地を認められ、その後も歴代将軍より朱印状を受けている。30世の範友法印が第二中興開山とされ、当寺の再興に尽力したとされる。以降、代々法孫相続し、現在の住職は52世である。これまで、たびたび火災にあったが、明治3年(1870)4月9日にも山火事の飛火により伽藍諸堂のほとんどが焼失している。現存の建築物は、本堂は明治15年(1882)に落成、庫裡は明治23年に建築、表門は明治23年に建立、山王社は宝暦2年(1752)に38世の亮観が建立、稲荷社は天保14年(1843)に建立されたもので現在に至っている。
真岡市 案内板
名称 | 瑞光寺 |
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読み方 | ずいこうじ |
御朱印 | あり |
限定御朱印 | なし |
電話番号 | 0285-83-3152 お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。 |
詳細情報
ご本尊 | 秘仏 勢至菩薩/木造 薬師瑠璃光如来立像 |
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山号 | 松医山 |
院号 | 三宝院 |
宗旨・宗派 | 天台宗 |
創建時代 | 貞観2年(860) |
開山・開基 | 慈覚大師 |
ご由緒 | 天台宗で松医山三宝院瑞光寺と称し、寺伝によれば、貞観2年(860)慈覚大師の開基とされる。本尊は勢至菩薩であるが「下野国誌」には、本尊は薬師如来であると記されている。瑞光寺は、当初からこの地にあったのではなく、以前は原、中丸(西田井地内)というところにあり、第一世で中興開山覚秀が現在の地に移したと伝わっている。慶安元年(1648)8月24日に将軍家より15石の朱印地を認められ、その後も歴代将軍より朱印状を受けている。30世の範友法印が第二中興開山とされ、当寺の再興に尽力したとされる。以降、代々法孫相続し、現在の住職は52世である。これまで、たびたび火災にあったが、明治3年(1870)4月9日にも山火事の飛火により伽藍諸堂のほとんどが焼失している。現存の建築物は、本堂は明治15年(1882)に落成、庫裡は明治23年に建築、表門は明治23年に建立、山王社は宝暦2年(1752)に38世の亮観が建立、稲荷社は天保14年(1843)に建立されたもので現在に至っている。 真岡市 案内板 |
体験 | 御朱印札所・七福神巡り |
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