ほうおんじ|臨済宗妙心寺派|松嶺山
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報恩寺ではいただけません
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やさしいむらさき
2020年04月08日(水)
344投稿
松嶺山 報恩寺
令和2年の参拝です。
静かで山門から本堂まで植木がとてもきれいです。
本堂も立派でとても素敵なお寺でした☺️✨
参拝をしていただいた御朱印です。
「南無釋迦牟尼佛」墨書も達筆です✨
山門、茅葺の唐門が素敵です。
戊辰戦争の戦火で焼失したのを、その後再建した本堂だそうです。
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名称 | 報恩寺 |
---|---|
読み方 | ほうおんじ |
御朱印 | あり |
限定御朱印 | なし |
電話番号 | 028-633-2837 お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。 |
詳細情報
ご本尊 | 釈迦牟尼仏 |
---|---|
山号 | 松嶺山 |
宗旨・宗派 | 臨済宗妙心寺派 |
創建時代 | 1639年(寛永16) |
開山・開基 | 奥平家昌の正室(開山) |
本堂 | 現在の本堂は戊辰戦争の戦火で焼失したのを、その後再建したものである。 |
文化財 | 延命院地蔵堂
|
ご由緒 | 報恩寺の開山は宇都宮藩藩主奥平家昌の正室・仙遊院(本多忠勝の娘)、創建年は1639年(寛永16年)といわれる。しかし、家昌の正室は1611年(慶長16年)に、また家昌自身も1614年(慶長19年)に没しており、創建年の1639年(寛永16年)と食い違う。 1639年には、家昌を継いだ後、幼少のため一時古河に所替えとなった奥平忠昌が、後継の本多正純を継いで宇都宮藩主となっていた。寺域には宇都宮氏の五輪塔があるが、その由来は不詳である。報恩寺は創建当時は市内松が峯にあったが、その後伊賀町西原(現在地)に移された。戊辰戦争(宇都宮城の戦い)では、寺域に近い六道の辻が主戦場となり、その戦火で本堂を焼失している。 |
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最終更新:2024年11月14日(木)
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