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東本願寺(真宗本廟)ではいただけません
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ひがしほんがんじ(しんしゅうほんびょう)|真宗大谷派

東本願寺(真宗本廟)
京都府 五条(京都市営)駅

5:50~17:30 ※11~2月は6:20~16:30

御朱印について
御朱印
あり
限定
-
御朱印帳
-
ありません
パーキング
駐車場
あり

有り

おすすめの投稿

くるくるきよせん
くるくるきよせん
2024年01月19日(金)
2011投稿

NHK紅白歌合戦で Adoさんが「唱」を歌われた能舞台のあるお寺です。
京都市下京区にあるお寺です。
JR京都駅から北へ徒歩5分ほどの所にあります。
能舞台を見ようと思ってお参りしたのですが 残念ながら通常非公開でした。
「京の冬の旅」で予約すれば見学できたようです。
西本願寺と違い 阿弥陀堂も御影堂も内陣が撮影できませんでした。
山号はなし 宗旨宗派は浄土真宗大谷派 寺格は本山 ご本尊は阿弥陀如来です。
正式名称は真宗本廟(しんしゅうほんびょう)です。
真宗本願寺派の本山である西本願寺と区別するため 両派の本山は通称で呼ばれることが多いです。
京都市民からはお東さんの愛称でも親しまれています。

ここからは西本願寺の紹介でも載せています。
本願寺がなぜ東と西に分かれているのか 少し前まで知りませんでした。
乱暴な説明ですが 簡単にお話ししますと。。

本願寺の前身である石山本願寺は 室町時代に武装化が進み 顕如上人の時代には各地の戦国大名と同盟を結ぶほどの勢力をもちました。
ところが天下統一を狙う織田信長にとって この本願寺の勢力はやっかいなものでした。
信長は石山本願寺の明け渡しを要求しましたが 顕如上人は断固拒否し 全国の門徒衆に対して打倒織田信長を決起しました。
信長は石山本願寺と10年以上も戦争を続けていましたが 武力によって攻め落とすことはできず 和睦の申し入れをしました。
本願寺内部では 和睦派と抗戦派で真っ二つに意見が分かれていました。
顕如上人は和睦を受け入れましたが 長男の教如上人は最後まで抵抗しました。
結局は信長に石山本願寺を明け渡すのですが 石山本願寺は焼かれてしまいました。
石山本願寺焼失後 顕如上人と長男の教如上人の親子の溝は埋まることはありませんでした。
顕如上人は本願寺の宗主を 長男ではなく 三男の准如上人にゆずります。
その後豊臣秀吉の時代になり 本願寺の再興を許されて京都の堀川に建てられたのが現在の西本願寺となります。
豊臣が徳川に滅ぼされ 徳川家康の時代になりました。
家康は本願寺の巨大な勢力を分断するために 不満のたまっていた教如上人に目を付け 西本願寺のすぐ近くの烏丸に寺地を寄進して東本願寺を建てさせました。
そして 本願寺教団は三男の西本願寺と長男の東本願寺に分裂されることになりました。
という流れです。

東本願寺(真宗本廟)(京都府)

御影堂門の北側に

東本願寺(真宗本廟)(京都府)

こちらも 御影堂門の北側に

東本願寺(真宗本廟)(京都府)

御影堂門

東本願寺(真宗本廟)(京都府)

木組みがとてもすばらしい

東本願寺(真宗本廟)(京都府)

西も東も 山門が大きすぎる

東本願寺(真宗本廟)(京都府)

柱には彫刻

東本願寺(真宗本廟)(京都府)

見上げたら 見事な彫刻

東本願寺(真宗本廟)(京都府)

境内案内図

東本願寺(真宗本廟)(京都府)

手水屋形と言うらしい

東本願寺(真宗本廟)(京都府)

説明

東本願寺(真宗本廟)(京都府)

手水の龍

東本願寺(真宗本廟)(京都府)

釣り鐘の説明

東本願寺(真宗本廟)(京都府)

先代の鐘

東本願寺(真宗本廟)(京都府)

阿弥陀堂門

東本願寺(真宗本廟)(京都府)

阿弥陀堂

東本願寺(真宗本廟)(京都府)

同じようなものが西本願寺にもありました

東本願寺(真宗本廟)(京都府)

阿弥陀堂と御影堂

東本願寺(真宗本廟)(京都府)

阿弥陀堂の説明

東本願寺(真宗本廟)の歴史

阿弥陀堂の説明

東本願寺(真宗本廟)(京都府)

能舞台について

東本願寺(真宗本廟)(京都府)

御影堂

東本願寺(真宗本廟)(京都府)
東本願寺(真宗本廟)(京都府)
東本願寺(真宗本廟)(京都府)

御影堂の説明

東本願寺(真宗本廟)(京都府)
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歴史

真宗大谷派の本山で、正式名は真宗本廟です。西本願寺と区別して一般に東本願寺と呼ばれています。本願寺は1272年(文永9)宗祖親鸞の娘の覚信尼が東山大谷の地に仏堂を建て親鸞の御影を安置したのが始まりです。室町時代弟八代蓮如の時代に教団は飛躍的に発展し、戦国時代には大きな勢力となって織田信長にも対抗しました。豊臣秀吉が六条堀川の地に本願寺を再興し、次いで徳川秀康がこの地を寄進し、弟十二代教如が堂舎を建てたのが本堂の始まりです。その後、たびたび火災に遭い、現在の建物はいずれも明治時代からの再建ですが、真宗寺院の典型的な様式と配置を示しています。親鸞の御影を安置する御影堂は阿弥陀堂よりも大きく造られて、高さ38m、正面の幅76m、内部は927畳の大広間です。

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東本願寺(真宗本廟)の基本情報

住所京都府京都市下京区常葉町754
行き方

京都駅より徒歩7分 地下鉄・五条駅より徒歩5分 烏丸七条バス停より徒歩1分

アクセスを詳しく見る
名称東本願寺(真宗本廟)
読み方ひがしほんがんじ(しんしゅうほんびょう)
通称お東さん
参拝時間

5:50~17:30 ※11~2月は6:20~16:30

御朱印あり

限定御朱印なし
御朱印帳なし
電話番号075-371-9181
お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。
ホームページhttp://www.higashihonganji.or.jp/
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詳細情報

ご本尊阿弥陀如来
宗旨・宗派真宗大谷派
創建時代1602年(慶長7年)
開山・開基教如上人
ご由緒

真宗大谷派の本山で、正式名は真宗本廟です。西本願寺と区別して一般に東本願寺と呼ばれています。本願寺は1272年(文永9)宗祖親鸞の娘の覚信尼が東山大谷の地に仏堂を建て親鸞の御影を安置したのが始まりです。室町時代弟八代蓮如の時代に教団は飛躍的に発展し、戦国時代には大きな勢力となって織田信長にも対抗しました。豊臣秀吉が六条堀川の地に本願寺を再興し、次いで徳川秀康がこの地を寄進し、弟十二代教如が堂舎を建てたのが本堂の始まりです。その後、たびたび火災に遭い、現在の建物はいずれも明治時代からの再建ですが、真宗寺院の典型的な様式と配置を示しています。親鸞の御影を安置する御影堂は阿弥陀堂よりも大きく造られて、高さ38m、正面の幅76m、内部は927畳の大広間です。

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