ぜんどうじ|浄土宗|大本山
切り絵・一粒万倍日の御朱印や神さま・仏さま・宗派検索可能に

福岡県のおすすめ2選🎌
おすすめの投稿

【筑後國 古刹巡り】
善導寺(ぜんどうじ)は、福岡県久留米市善道寺町飯田にある浄土宗の大本山の寺院。山号は井上山(山門の扁額では終南山)、院号は光明院。本尊は阿弥陀如来。本堂、大門、大庫裏、釜屋、広間、書院、役寮および対面所、中蔵、木造善導大師坐像、木造大紹正宗国師坐像などが国指定の重要文化財。
創建は平安時代末期の1191年、聖光上人(弁長)の開山、筑後国司・草野永平の開基による。当初「光明寺」と称していたが、1217年に「善導寺」と改称、浄土宗鎮西義の拠点となった。室町時代には兵火により焼失したが、江戸時代初期に柳河藩主・田中氏の帰依を得て復興した。1616年には田中忠政により東照大権現が勧請されている。のち田中氏が無嗣断絶となり筑後國が柳河藩と久留米藩に分割されると久留米藩領に属するようになり、久留米藩主・有馬氏の庇護を受け、浄土宗の旧州大本山として繁栄した。現在でも広大は境内に江戸時代建立の堂宇が多く残っており、その多くが国指定の重要文化財となっている。
当寺は、JR久大本線・善導寺駅の北北西1kmの平地、耕作地に面した住宅街の中にある。大本山だけあって、境内はかなり広大で、伽藍が伸びやかに広がっている。伽藍の多くが国重文で、建物だけでも見応えたっぷり。伽藍は無料で内部解放されているので、ゆっくり仏像を見て廻ることもできる。境内中央にある樹齢800年の大樟が、古刹らしい雰囲気に趣を添えているのも見どころ。
今回は、浄土宗の大本山、本堂、大門、大庫裏などが国重文であることから参拝することに。参拝時は休日の午前中で、自分以外には近所住民と思われる老若男女が思い思いに訪れていた。
境内東端入口全景。ここから本殿までは長い参道が続き、300m以上ある。
参道を進むと、当寺内最古の建物である<大門>がある。江戸時代初期1651年の建立、切妻造本瓦葺の四脚門。
いきなり国指定の重要文化財。
大門内の扁額には山号の「井上山」ではなく、「終南山」とある。
大門をくぐって進むと、参道右側にある塔頭<生蓮院>。
参道左側にある塔頭<歓喜院>。
参道右側にある<不断院>。
やがて<三門>に突き当たる。江戸時代末期1859年の再建。間口5間奥行3間。
山門をくぐって右前方にある<宝物殿>。
宝物殿の裏手にある塔頭<浄土院>。
浄土院の左隣にある塔頭<上品院>。
参道の突き当りにある<釈迦堂>。昭和初期1927年に比叡山延暦寺の根本中堂を模して再建。
釈迦堂内の<釈迦如来>。木造で高さ5m、横2m、奥行1.5m。
釈迦堂の左隣に建っている<観音堂>。1953年の筑後川の大洪水で観音像が流れたことがある。
中央の大きな座像が<如意輪観音>、両脇には立像、座像の三十三体の観音像が並ぶ。
観音堂の左手にある<六地蔵>。
観音堂、六地蔵の東側、南門の近くにある<鐘楼>。江戸時代中期1791年の再建。間口二間半奥行二間半。
鐘楼の<洪鐘>。慶安二年(1649年)の鋳造。
当寺境内の中央にある<大樟>。2本ありともに推定樹齢800年と言われる。
樹高はともに40mほどあり、西側の樟は最大根周り35m、胸高周囲が12m超。(;゚Д゚)
根周りは隆々としていて力強い。
大樟の北側にある<寺務所(庫裏・書院)>。御朱印はこちら。
この裏手にある大庫裏、釜屋、広間、書院、役寮及び対面所、中蔵、以上6件は国指定の重要文化財。
ここからは釈迦堂の北側にある参道を西に向かっていく。
こちらは参道の左側にある<経堂>。堂内中央には経典を収めた輪蔵がある。
また、この裏手には徳川家康公の墓をはじめとする<徳川廟>がある。
参道の左側、経蔵の右隣にある<御廟>。開山・鎮西上人(聖光上人)の墓。
御廟の並びにある<仏塔>。
三祖堂の手前、本堂の正面にある<水屋>。
境内の西端突き当りにある<三祖堂>。善導大師(中国浄土教創立者)、法然上人(浄土宗宗祖)、聖光上人(善導寺開山)を祀る。
<三祖堂>正面。<安産祈願所>とも案内されている。
三祖堂に向かって右手にある<本堂>。1786年の再建。間口十五間奥行十四間半と非常に大きい。国指定の重要文化財。
最後に<本堂>全景。徳川家に篤く庇護された浄土宗の大本山らしい建造物。(^▽^)/
名称 | 善導寺 |
---|---|
読み方 | ぜんどうじ |
参拝にかかる時間 | 約1時間 |
参拝料 | なし |
トイレ | あり |
御朱印 | あり |
限定御朱印 | なし |
御朱印帳 | なし |
電話番号 | 0942-47-1006 お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。 |
ホームページ | http://www.zendoji.jp/ |
詳細情報
ご本尊 | 阿弥陀如来 |
---|---|
山号 | 大本山 |
院号 | 光明院 |
宗旨・宗派 | 浄土宗 |
創建時代 | 1191年(建長2年) |
開山・開基 | 聖光上人 |
文化財 | 本堂、大門、大庫裏ほか(重要文化財)
|
ご由緒 | 昔は井上山光明寺と申しておりましたが、聖光(しょうこう)上人はこの地で、浄土宗の開祖、法然(ほうねん)上人の念佛の教えをひろめられました。
|
体験 | 七五三仏像御朱印重要文化財除夜の鐘 |
Wikipediaからの引用
概要 | 善導寺(ぜんどうじ)は、福岡県久留米市善導寺町飯田にある浄土宗大本山の寺院。 |
---|---|
歴史 | 歴史[編集] 建長2年(1191年)聖光上人(弁長)の開山、筑後国司草野永平(一向俊聖の伯父)の開基により創建されたという。当初光明寺と号していたが、建保5年(1217年)善導寺と改められ、浄土宗鎮西義の拠点となった。 室町時代には兵火により焼失したが、江戸時代初期に柳河藩主田中氏の帰依を得て復興された。 元和2年(1616年)に田中忠政により徳川家康を祭神とする東照権現宮が歓請される[1]。「田中筑後守殿家人数並知行」に『五百石六斗五舛 善導寺』とある。 田中氏は無嗣断絶となり、筑後国が柳河藩と久留米藩に分割されると久留米藩領に属すようになり、久留米藩主有馬氏の庇護を受け、浄土宗の九州...Wikipediaで続きを読む |
引用元情報 | 「善導寺 (久留米市)」『ウィキペディア日本語版』。 この版のURL:https://ja.wikipedia.org/w/index.php?%E5%96%84%E5%B0%8E%E5%AF%BA%20%28%E4%B9%85%E7%95%99%E7%B1%B3%E5%B8%82%29&oldid=90199729 |
ホトカミのデータについて
ホトカミには、日本最大となる全国15万8千件の神社お寺の情報や、2万件以上の御朱印のオリジナルデータがあります。
ご利用になりたい法人様やメディア関係の方々は、こちらよりお気軽にご相談ください。
近くの神社お寺
福岡県のおすすめ2選🎌
善導寺に関連する記事
おすすめのホトカミ記事
最新の限定御朱印情報が届く!
御朱印メルマガを受け取ろう
利用開始をもって利用規約・プライバシーポリシーに
同意したものとみなします。

ホトカミで困ったこと、不具合のご報告はこちらから
お問い合わせ
3
0