ねごろじ|天台宗単立|青峰山(あおみねさん)
根香寺香川県 鬼無駅
7:00~17:00
憧れの四国八十八霊場巡り日帰り5回目です。
さぬき市→高松市は近かったです。
一宮寺から海沿いの道を通り 五色台方面へ向かって山道を上がりました。
こんなに山奥に よくぞこんな立派なお寺を建てたものだと感服します。
昔の人ってすごすぎます。
本堂も大師堂も良いのですが 五大堂の五大尊が素敵でした。
本堂の千手観音木像は秘仏で 次回は令和18年開帳の予定だそうです。
山奥のお寺ではよく見かける苔が素敵で 苔好きにはたまりません。
山号は青峰山 院号は千手院 宗旨宗派は天台宗単立 ご本尊は千手観世音菩薩 創建年は(伝)弘仁年間(810年 – 824年) 開基は(伝)空海(弘法大師)円珍(智証大師)です。
ご真言とご詠歌は
本尊真言:おん ばさら たらま きりく そわか
ご詠歌:宵のまの妙(たえ)ふる霜の消えぬれば あとこそ鉦(かね)の勤行(ごんぎょう)の声
でした。
由緒については
寺伝によれば 空海(弘法大師)が弘仁年間(810年 – 824年)にこの地を訪れ五色台の五つの峰に金剛界の五智如来を感得し密教の修行にふさわしい台地であるとし その一つである青峰に一宇を建立し五大明王を祀り「花蔵院」と称し 衆生の末代済度を祈願する護摩供を修法をしたと伝えられている。
その後 円珍(智証大師)が天長9年(832年)に訪れたさい 山の鎮守である市之瀬明神の化身の老翁に 蓮華谷の霊木で観音像を造り観音霊場の道場をつくるよう告げられた。
すぐさま円珍は 千手観音像を彫像し「千手院」を建てて安置した。
この霊木は香木で切り株から芳香を放ち続けたことから この2院を総称して根香寺と呼ばれるようになったという。
後白河天皇から勅願所として帰依も厚く繁栄したが 寺記によると永正以来海賊が大蜂起し 伽藍ほか焼かれたとされる。
しかし 慶長年間に高松城主・生駒一正が復興 さらに寛文4年(1664年)高松藩初代藩主松平頼重が再興した。
なお このとき真言宗から天台宗に改宗された。
とありました。
石柱
山門(仁王門)
周辺案内図
五色台のへんろみちコース
紹介の看板
扁額
本堂に続く道 山門をくぐり 降りてから登る
あまりきつくないです
水かけ地蔵
役行者像
牛頭観音
手水
白猴欅(はっこうけやき)樹齢1,600年とも言われるケヤキの老木
説明書き
五大堂
五大尊の説明
内陣 とてもかっこいい
本堂手前
千手観音木像について(秘仏)
扁額
本堂
扁額
本堂横の阿弥陀堂
鐘楼
悲願金剛とありますが 延命地蔵尊
龍宮地蔵尊
大師堂
苔好きにはたまらない庭
五色台の主峰、青峰山に佇ずむ、かつての巨刹。五つの山に金剛界曼荼羅の五智如来を感じた弘法大師は、密教修行の地とし青峰に「花蔵院」を建立されました。後に大師の甥にあたる智証大師が訪れた際、山の鎮守である一之瀬明神に出会い、「この地にある毘沙門谷、蓮華谷、後夜谷に道場を作り、蓮華谷の木で観音像を作りなさい」というお告げをうけました。智証大師は蓮華谷の木で千手観音像を彫造し、「千手院」を建て安置しました。この霊木の切り株から芳香を放ち続けたことから「花蔵院」、「千手院」を総称して根香寺と名づけられたといわれます。根香寺は後白河天皇の帰依も厚く隆盛を極めました。後に、高松藩主らにより再興され、この時に天台宗へ改宗されました。
寺には次のような伝説があります。昔、青峰山には人間を食べる恐ろしい怪獣、牛鬼が棲んでいました。村人は、弓名人山田蔵人高清に頼み退治してもらうことしました。しかし、高清が山へ入れど、なかなか牛鬼が現れません。そこで高清は根香寺の本尊に願をかけました。すると21日目の満願の暁に、牛鬼が現れ口の中に矢を命中。逃げる牛鬼を追うと2kmほど西の定ヶ渕で死んでいるのを発見しました。高清は牛鬼の角を切り寺に奉納。その角は今でも寺に保存されています。また牛鬼の絵は魔よけのお守りとして親しまれています。
住所 | 香川県高松市中山町1506 |
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行き方 | 81【白峯寺】より
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名称 | 根香寺 |
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読み方 | ねごろじ |
参拝時間 | 7:00~17:00 |
御朱印 | あり |
限定御朱印 | なし |
電話番号 | 087-881-3329 お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。 |
ホームページ | http://www1.plala.or.jp/negoro/ |
四国八十八ヶ所霊場(お遍路) |
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ご本尊 | 木造千手観音立像 |
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山号 | 青峰山(あおみねさん) |
院号 | 千手院(せんじゅいん) |
宗旨・宗派 | 天台宗単立 |
創建時代 | 弘仁年間(810〜824) |
開山・開基 | 弘法大師、智証大師 |
文化財 | 木造千手観音立像(重要文化財)
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ご由緒 | 五色台の主峰、青峰山に佇ずむ、かつての巨刹。五つの山に金剛界曼荼羅の五智如来を感じた弘法大師は、密教修行の地とし青峰に「花蔵院」を建立されました。後に大師の甥にあたる智証大師が訪れた際、山の鎮守である一之瀬明神に出会い、「この地にある毘沙門谷、蓮華谷、後夜谷に道場を作り、蓮華谷の木で観音像を作りなさい」というお告げをうけました。智証大師は蓮華谷の木で千手観音像を彫造し、「千手院」を建て安置しました。この霊木の切り株から芳香を放ち続けたことから「花蔵院」、「千手院」を総称して根香寺と名づけられたといわれます。根香寺は後白河天皇の帰依も厚く隆盛を極めました。後に、高松藩主らにより再興され、この時に天台宗へ改宗されました。
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体験 | 御朱印重要文化財札所・七福神巡り |
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