おんざんじ|高野山真言宗|母養山(ぼようざん)
恩山寺徳島県 南小松島駅
7:00~17:00
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四国八十八か所第18番札所の恩山寺を参拝しました。
仁王門過ぎてからの上り坂は結構厳しかったですね。駐車場に着いた時には膝が笑ってました。駐車場から少し登ると境内にたどり着きます。本堂はさらに階段を登ったところにあります。本堂のさらに奥に建物があったのですがバリケードがあっていけませんでした。納経所で聞いたところ新しく本堂を建てているとのことです。新しくなったらまた参拝に行こうと思います。
仁王門です
ここからの上り坂がきつい
本堂です
大師堂です
本堂の奥に新しく本堂を建てていました。完成間近のようです。
小松島市郊外の小高い山の樹林が心地よい、県指定の風致地区にある。縁起をたどると、創建は聖武天皇(在位724〜49)の勅願により、行基菩薩が草創して、当時は「大日山福生院密厳寺」と号した。本尊には行基菩薩が薬師如来像を彫造して安置し、災厄悪疫を救う女人禁制の道場であった。十九番霊場に向かって下る「花折り坂」という坂から上には、女性が入ることは許されていなかったのである。延暦年間(782〜806)になって、弘法大師がこの寺で修行をしていたころという。大師の生母・玉依御前が讃岐の善通寺から訪ねてきた。だが、寺は女人禁制、大師は山門近くの瀧にうたれて7日間の秘法を修し、女人解禁の祈願を成就して母君を迎えることができた。
やがて母君は剃髪をして、その髪を奉納されたので、大師は山号寺名を「母養山恩山寺」と改め、自像を彫造して安置され「我が願いは末世薄福の衆生の難厄を除かん」と誓われた。弘仁5年(814)ころのことと伝えられる。
寺は「天正の兵火」で焼失しているが、江戸時代になって阿波藩主の庇護をうけて繁栄し、現在の本堂や大師堂は文化、文政年間(1804〜30)ころに建立された由緒ある建造物である。境内には玉依御前を祀る小堂があり、母君に孝養をつくして、大師が植樹した「びらんじゅ」は、県の天然記念物にもなっている。母君を慕いつくした大師のこころが、いまも宿っているような寺である。
| 住所 | 徳島県小松島市田野町字恩山寺谷40 |
|---|---|
| 行き方 | 徳島バス 立江線「恩山寺前」下車 (0.9km)
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| 名称 | 恩山寺 |
|---|---|
| 読み方 | おんざんじ |
| 参拝時間 | 7:00~17:00 |
| トイレ | 境内入口手前左側 |
| 御朱印 | あり |
| 限定御朱印 | なし |
| 電話番号 | 0885-33-1218 お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。 |
| お守り | あり |
| 四国八十八ヶ所霊場(お遍路) |
|---|
| ご本尊 | 薬師如来 |
|---|---|
| 山号 | 母養山(ぼようざん) |
| 院号 | 宝樹院(ほうじゅいん) |
| 宗旨・宗派 | 高野山真言宗 |
| 創建時代 | 天平年間(729〜749) |
| 開山・開基 | 行基菩薩 |
| 文化財 | 恩山寺ビランジュ(県指定天然記念物)
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| ご由緒 | 小松島市郊外の小高い山の樹林が心地よい、県指定の風致地区にある。縁起をたどると、創建は聖武天皇(在位724〜49)の勅願により、行基菩薩が草創して、当時は「大日山福生院密厳寺」と号した。本尊には行基菩薩が薬師如来像を彫造して安置し、災厄悪疫を救う女人禁制の道場であった。十九番霊場に向かって下る「花折り坂」という坂から上には、女性が入ることは許されていなかったのである。延暦年間(782〜806)になって、弘法大師がこの寺で修行をしていたころという。大師の生母・玉依御前が讃岐の善通寺から訪ねてきた。だが、寺は女人禁制、大師は山門近くの瀧にうたれて7日間の秘法を修し、女人解禁の祈願を成就して母君を迎えることができた。 やがて母君は剃髪をして、その髪を奉納されたので、大師は山号寺名を「母養山恩山寺」と改め、自像を彫造して安置され「我が願いは末世薄福の衆生の難厄を除かん」と誓われた。弘仁5年(814)ころのことと伝えられる。
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| 体験 | 御朱印札所・七福神巡り |
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