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城下稲荷神社(舞木城址)
群馬県 篠塚駅

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城下稲荷神社(舞木城址)について

藤原秀郷の生誕地と伝わる舞木城跡の横に建つ小さな稲荷神社

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くし
くし
2026年05月21日(木)1826投稿

この舞木または隣接する赤岩は、藤原秀郷の生誕地であるとの伝承もありまして、この舞木城がその生誕地、あるいは秀郷公が築城した城と伝わっております🏯
舞木長良神社と密接に関係する重要地ですが、単なる城跡じゃホトカミに登録できんな😣と考え、当初は長良神社と一緒に取り上げようと考えてました。

ところが!

ストリートビューで城跡周辺を見てたら・・・あ💡なんか城跡の横に祠がある😍💕
単なる屋敷神かも🏠️💧との不安もあったものの、横の民家には背を向けてるし、そこそこの大きさの鳥居もあるので公共神社だろうと判断。
しかし当初は祭神も社名もわからず、とりあえず「舞木城跡の祠」とでも付けとくか💨と考えてたのですが、ひょんなことから「城下稲荷神社」という固有名があり、簡単ながら「上野国神社明細帳」にも記載されてる神社だと知り、もう嬉々として新規登録しました🎶✏️www

藤原秀郷といえば近江の「三上山のムカデ退治」の伝説が有名ですが、この群馬・栃木では「赤城山のムカデ退治」という伝説も各地に伝わっております。
これは日光二荒山の神と赤城山の神が、お互いの眷属である蛇🐍とムカデ🐛を繰り出して、戦場ヶ原で戦ったという「神戦憚」という伝説がありまして、二荒神に加勢して勝利に導いた「猿丸太夫」という人物が秀郷公に結び付けられたものらしい。

そのため「舞木の人は赤城山に登ってはいけない」というタブーがあるそうです⛰️
将門公を祀る神田明神の氏子は成田山新勝寺に詣でてはいけないというタブーがありますが、秀郷公の方にも同じようなタブーがあるのは興味深いw

ちなみに赤城神と二荒神が争った原因は、山に水のない赤城神が日光の中禅寺湖を欲しがり、配下の鬼もしくは巨人に命じてその一部を盗ませたのが赤城山上の大沼・小沼⛰️
戦いに敗れた赤城神が傷を癒したのが、赤城山北麓にある老神温泉などとも云われております♨️

もちろん歴史上の人物のご多分に漏れず、生誕地や終焉の地と伝えられてる所はあちこちありますが・・・😅
やはり地元民としては、秀郷公は近場の舞木か赤岩で生まれたのだと信じたい❗
慈覚大師円仁だって三毳山で生まれたし、木曽義高は佐野に落ち延びたし、常盤御前は葛生の山奥で亡くなったし、小野小町だって小野寺で亡くなったのだ‼️ 異論は認めん😤www

城下稲荷神社(舞木城址)(群馬県)

舞木城跡
遺構は残っておらず公園内に石碑が建つのみ💧
左端にちょこっと写ってるのが城下稲荷神社

城下稲荷神社(舞木城址)(群馬県)

何気に館林の尾曳稲荷神社とも関わりのある霊跡でもある🦊
もしかしたら城下稲荷も尾曳稲荷からの分霊かも?

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城下稲荷神社(舞木城址)の基本情報

名称城下稲荷神社(舞木城址)
読み方じょうかいなりじんじゃ

詳細情報

ご祭神《主》稲荷神
創建時代不詳
創始者不詳
ご由緒

藤原秀郷公の生誕地と伝わる舞木城跡の横に建つ小さな稲荷神社。
「上野国神社明細帳」に以下の記載があるという。
群馬縣上野國邑樂郡舞木村字城下 無格社 稲荷神社
勧請された年は不明であるが、当社の稲荷神社はかつて舞木宮内亟(まいぎ くないじょう)の城跡に鎮座していたため、今でもこの社を「城下稲荷神社」と呼んでいる。なお、当時の溝(堀)の跡が今も残っている。
(AIにより現代訳)
――――――――――
【舞木城跡】
舞木城は、面積およそ三ヘクタール、土塁と溝渠をめぐらせた平城で、藤原秀郷が承平年間(九三二〜九三五)に築城したと伝えられ、その後享禄年間(一五二八〜一五三三)まで秀郷の子孫が居城していたという。
また館林盛衰記には、享禄の頃 赤井照光が大袋城(現在の館林市羽附)から舞木城へ年始の道すがら子狐を助け、その狐の導きによって館林城(尾城)を築いたと記され、舞木と館林とのつながりを浮き彫りにしている。
この地は明治四十二年に小学校の敷地となり、昭和四十四年には、小学校の移転により「たわら住宅団地」が造成され現在に至っている。
(案内板より)
※生誕地だとすると、築城年は上記より遡ることになる。
――――――――――
【千代田町に伝わる藤原秀郷伝承あれこれ】
・生誕地については舞木ではなく東隣りの赤岩だとも伝わる
・藤原秀郷といえば「三上山の百足退治」が有名だが、群馬・栃木には「赤城山の百足退治」の伝承も点在している。
これは日光二荒山の神と赤城山の神が、それぞれ蛇と百足を繰り出して戦ったという「神戦譚」で、日光の神を助けて勝利に導いた猿丸太夫が藤原秀郷に結びつけられたものらしい。
・そのため、赤城の百足を倒した藤原秀郷の生まれ里である舞木の人は、赤城山に行ってはいけない、行くと変事が起こるという伝承が伝わっている。

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